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2026年06月28日08:24

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松本サリン。得た教訓は活かされているだろうか。特選

■松本サリン事件から32年 現場近くの公園に献花台設け犠牲者を悼む
(TBS NEWS DIG - 06月28日 04:34)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8845517

1 科学教育の失敗。

麻原の空中浮揚は、髪の毛が逆立っているから、下から風が吹いている。空中下降である。

2 テキストをなおざりにする、古典教育。

殺して、被害者をより高い境涯に送るなどという思想は、お経にはない。

3 場の空気に飲まれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
このカウラ事件は、示唆的である。本心では脱走したいと思う人間は少数派であった。しかし、他の人間に対する対抗意識として、意気がって事件を起こした。
オウムも同じである。
また、集団での一種の群集心理を背景にした事件が青少年を中心に跡を絶たない。

4 答えを求めるという病気。内省の欠如

なぜ、オウムに入ったのか。人生のいろいろな問題について、麻原がたちどころに答えを出したからだといわれる。
特に林郁夫は、「心臓外科医として医学の限界を感じた」と述べている。

答えがないことや、解決できないことは、世の中にたくさんある。だが、解決するか否かが問題なのではなく、そういうYNの二値論理(イエスとノーの二つしか解がないこと)がまちがいであり。問題の立て方がそもそも間違っているということだろう。

最近考えるのは、「死」である。
200年も300年も生きたいとは思えない。たとえ、家族や友人が同じように長生きしてくれ、経済的な心配がないとしても。
「生きたい」という願いが、恐らくは非常に雑であったということだろう。

病気にかかって治したい、事故にあって死にたくないという願いと、永遠の生命を得たい…という願いは、全く別だ。
それを林は混同してしまったということだ。

たとえば、日々、計算演習をして練習問題を解いている理科系の高校生が、「このままでは、ノーベル賞をとれない。自分の勉強に限界を感じた」と、突然言い出すようなものである。
もちろん、計算練習、練習問題が、医師の営みを指し、ノーベル賞が、霊性によるすべての解決を指す。

テレビの前に座り、ビールを飲んで、ドジャースのロバーツ監督の采配を批判する。そうしているうちに、自分がロバーツ監督より野球を知っているいる気になってしまう。それと同じような現象である。
恐ろしいことにこういう勘違いは、我々の社会に遍在している。

林郁夫は、「心臓外科医として医学の限界を感じた」と感じた時点で、まだ殺人は犯していないとしても、道を大きく踏み外した、そういう断定しても間違いではないだろう。

そして、これらの問題は、全く解決していない。
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