本日の世見 2026年5月29日(金曜日)
『オスマン帝国』
19世紀末まで、中東地域において、これほどの大規模な民族紛争が起きることはありませんでした。
その理由は、強大なオスマン帝国がこの地を支配していたからです。
オスマン帝国は、14世紀初頭、西アジアのアナトリア半島に建国、最盛期には、西アジアから東ヨーロッパ、北アフリカまでの広大な国土を手に入れていました。
当時は、東地中海から黒海へ抜ける航路と、東地中海から南の紅海を抜けるルートの二つが、ヨーロッパ諸国とアジアをつなぐ主要な交易ルートでした。オスマン帝国は、ビサンツ帝国を倒し、黒海への海峡を支配下に置きました
その後も、アラビア半島から北アフリカまで支配の手を伸ばし、地中海から紅海へ出るルートも押さえました。
ヨーロッパの貿易を支配する力を活用して、オスマン帝国は、国土を拡大したことで、民族同士の争いはなくなりました。
絶大なる権力を持つオスマン帝国に対しておとなしくなったといいます。
オスマン帝国は、今から727年前(1299年)に誕生して、104年前(1922年)に滅亡しました。
このオスマン帝国の基本国教はイスラム教でしたが、広大な多民族・多宗教の共存で成り立つ広大な国家でした。
オスマン帝国では、役人の採用に差別がなく、実力本位でした。
勿論、人種・宗教の違いも関係ありませんでした。
イランという国は、イギリスとロシアに半植民地化されたこともありました。
ロシア革命後は、イギリスの支配を受け、イランの国王だったパフレヴィー2世は、アメリカからの軍事援助の見返りに、アメリカに石油利権を与えました。
油田開発もアメリカが行ったのです。
王はオイルマネーをガッポリと手にしたことで、イランの近代化を急ぎすぎ、イスラム教のシーア派と衝突、ホメイニの「イラン革命」によって政権を奪われたのです。
そしてイランは、中東最大の親米国家から、反米国家になっていったのです。
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