朝に起き、埼玉の方の本社に出勤。専務だから、訓示を行なう。それから、営業に行くとかなんとか取り繕うのかもしれませんが、名前だけのそっけない名札がある、会社の作業着を着たまま、家の近くの小国屋さんという寿司屋で一杯飲む。12時ごろです。
その寿司屋は、昭和天皇ご一家に寿司を出した職人さんがやっています。小さいころの今上天皇もお見えになったそうです。
思想調査だ検便だと大変だったそうです。
夏は新子、冬はハマグリと、ものすごいネタを出してくれました。
彼は数の子が好物。常連の好物は知ってみんなが知っていて、数の子は、彼のために取っておく。クジラはKさんのために残すなどが、エチケットになっていました。
昼飲んで、家に帰って寝るそうです。夕方、また、その寿司屋に現れて、夜はキャバクラに繰り出すとか。たまに、お気に入りの女の子を連れてきますが、真面目そうな地味な子です。近くのお茶の水にもいなさそうな固い子。
二十四時間、酒が抜けない生活。いつかは…とみんな思っていましたが、とうとうなくなりました。
彼とは、よく顔を合わせました。小国屋さんのご主人もなくなり、そのしのぶ会を三回やりました。
しかし、少しも立ち入った付き合いではありませんでした。
辛うじて互いの職業を知っていた程度です。
だが、死なれてみると、
悲しくはないかもしれませんが、なぜか大変なインパクトがある。女性は泣く。私らは泣きはしませんが、なぜか、心が掃き清められたかのようなきれいな喪失感がある。
そんな感じです。
悲しまなければいけないという「義務感」に似たものがないから、喪失感が美しいのかもしれません。
ログインしてコメントを確認・投稿する