Ato Porte soquitoso
教員という夢を抱いていた19歳の時、彼女の人生を大きく揺るがす悲劇が起こります。
北陸トンネルで発生した、列車火災事故でした。
燃え盛る車両の中、3人の幼子を連れた母親から「この子だけでも逃がして!」と、5歳の男の子を託された彼女。
その手を取り、懸命に出口を目指しましたが、立ち込める煙に巻かれ、意識を失ってしまいます。
次に目覚めたのは、避難所でした。
そこで彼女は、託された男の子も、その母親と幼い兄弟も、4人全員が亡くなったという残酷な事実を知らされます。
救えなかった命への罪悪感に、彼女は長く苦しむことになりました。
そんな失意の日々を送る彼女を支えたのが、父からの手紙でした。
「『辛』いという字に一本の線を足せば、『幸』せになる。必ずその一本を見つけて幸せになれる時がやってくる。だから、亡くなった人の分もしっかり生きて、社会に恩返ししなさい」
父の言葉を胸に、彼女は前を向きます。
結婚後、自宅近くの会社でアルバイトとして働き始めると、夜間の経理学校に通いながら経理事務をこなし、手が空けば4トントラックを自ら運転して配達までこなしました。
そのひたむきな姿勢が評価され、正社員に登用。
やがて営業職へとフィールドを移し、福井営業所長に大抜擢されます。
しかし、その道は決して順風満帆ではありませんでした。
ある大手取引先との商談では、「大事な客に女の営業をよこすのか!」と激怒され、価格交渉がうまくいかないと「だから女はダメなんだ」と捨て台詞を吐かれる日々。
悔しさに、サービスエリアで一人号泣したこともありました。
しかし、彼女は諦めません。
翌朝、再びその取引先を訪れ、「私が女性だからという理由でお叱りになるのはやめてほしい」と毅然と伝えました。
すると、返ってきたのは意外な言葉でした。
「あんた、今日の株価はわかるか?あんたの会社の株価は?日本の景気をどう思う?企業の代表として来るなら、経済を学ばないとダメだ」
その言葉に、彼女は社会全体を見る視点の重要性に気づかされます。
その後も、単身赴任で関東副支店長、支店長へと着実にキャリアを重ねていきました。
しかし、東京では新たな壁にぶつかります。
上野動物園のパンダ人気にあやかり、自社の「パンダまん」を売ろうと提案した際、部下から「田舎の支店長はこれだから嫌なんですよ。僕らは一件一件売り歩く暇なんてないんです」と、陰で言われていることを知ってしまったのです。
社内のアンケートでは「女性の支店長は不要」という意見が8割を占め、自分の存在意義を見失った彼女は、ついに辞表を提出します。
しかし、上司である専務は、その辞表を中身も見ずに投げ返しました。
「甘えるな!自分の評価は社員じゃなく、お客様に聞くものだ!そんなアンケートを取る暇があったら営業してこい!」
その厳しい言葉の中に、自分への期待と愛情を感じた彼女は、初心を取り戻し、再び奮起。
以降、営業部門のトップとして驚異的な手腕を発揮し、執行役員、取締役を経て、2019年、ついに代表取締役社長に就任します。
地方のアルバイトから、創業120年以上の老舗企業のトップへ。
これは、井村屋グループ株式会社の代表取締役会長、中島伸子さんの、本当にあったシンデレラストーリーです。
彼女はこう語ります。
「人生のハンドルを握り、扉を開けられるのは自分だけ」
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