「教えたわけでもないのに」 上山 光広
娘が初めて1500mを走り終えた後、トラックに向かって深々と一礼した。
その姿を見て、胸がじんわりと温かくなった。
同じように、息子が小学生だった頃。
友達が公園にポイ捨てした駄菓子の袋を拾い集めて、ズボンのポケットをパンパンにして帰ってきたことがあった。
あの時も、言葉にならない喜びを覚えた。
それは、誰かに褒められる「良い行い」をしたからではない。
もっと奥にある、物事の“美しさ”を感じ取る感性──
「審美眼」が育っているように感じられたから。
僕の息子と娘は、勉強は得意ではないし、正直、偏差値や通知表は真ん中より下。
けれど、ときに見せる所作には、品性や知性、そして“打算のない美しさ”が宿っている。
それは、数字では測れない、
人としての「核となる部分の輝き」だ。
きっと、息子や娘は、根付いた審美眼に導かれるように、自分にとっての幸せを歩んでいくのだと思う。
すべては内側から始まる。
子供たちの「核の輝き」が育っていることを、父は、ただただ嬉しく思います。
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