松浦勝人会長、1時間話すだけの「松浦顧問制度」の驚きの年間金額公表もX納得「価値ある」
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よく言われるように、
お金は、交換価値です。また既存の価値の描写ではなく、値段を付けることは価値の創造だといえます。
また、供犠です
若いころ、予備校に勤め始めて驚いたことがたくさんあります。
中でも、生徒の雑談の、
「A先生は問題集を出したそうだが、全然売れていない。意味ないじゃん」という言葉が耳に入って戦慄を覚えたことは、まだ、記憶に新しいです。
「いいか。日大がヤバい人向けの問題集と、東大B判定の人向けの問題集のどちらにかちがあるか。売れるのはどっちかをよく考えろ」
と言いました。しかし、この子たちはしょっぱい顔をしてどこかに行きました。
お金の額が価値だと思っているのですね。
それなら大学に行かず、違法カジノや違法風俗店でもやった方がいいでしょう。
また、お金は供犠(生贄)と言えます。
「自分へのご褒美」といいいます。
前期試験を頑張った女子大生が、名店のケーキを食べることかもしれないし、一儲けした青年実業家がフェラーリを買うことかもしれません。
金額はいろいろですが、とにかく、自分を肯定するために捧げものをすることです。
だから、その人にとって痛い金額でないと、「自分へのご褒美」のはなりません。
アブラハムは子どものイサクを生贄として主にささげようとしました。これが、猫の子だったら、「美談」になりません。
世の中には、「金ならなんぼでも出す。うちの息子を医学部に入れてくれ」というひとがいます。
そういう場合、ある程度もらわないと、勉強してくれません、生贄にならないからです。
さて、
このケースの場合、講演者の話が大金に見合うかどうか(A)という問題があります。
しかし、一方で講演者がつけた金額(B)があります。
Aを自分が判断できないから、Bを信じ込もうとしているという話でしょう。
やっぱり、日本人は自己欺瞞の達人です。
ところで、ある同僚に聞いたことがあります。
「えらい高い金を出すといわれたらどうしよう」
答えは、「やっちゃんさん、60分一万五千円が限度です。それ以上になると恨まれます」
なるほど。
年収三億の人にとって、三千万の人が出す二千円は二万円とおなじだと思ったら…そうもいかないのですね。
交換価値、価値の創造というものは、どっかで社会と連動しています。
マリノフスキーやモースが偉大だということがしみじみとわかります。
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