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2025年07月12日19:42

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宇都宮で大空襲・・・

 今朝の下野新聞は、「宇都宮で大空襲」との別刷りの特別紙面が、
 本紙と併せて配達されました。
 1945年(昭和20年)年7月12日午後11時19分ごろから
 13日午前1時39分ごろにかけて、
 宇都宮市の上空にアメリカ軍のB29大型爆撃機115機が飛来し、
 高度4千m付近から焼夷爆弾や集束焼夷弾など1万2704個を投下、
 木造住宅などが次々と延焼し、
 宇都宮二荒山神社周辺など中心市街地が火の海になりました。
 火災や焼夷弾の直撃などで死者は620人を超え、
 1128人以上がやけどなどのけがを負いました。
 軍事関連施設ではない、市民が暮らす市街地を狙った米軍の無差別攻撃は
 3月10日の東京大空襲から始まり、全国で37都市目です。
 北関東での大規模な都市空襲は初めてで、
 県都の市街地の半分が灰じんに帰す県内最大の戦禍となりました。

 大通りに面した鉄筋コンクリート3階建ての下野新聞社屋も、
 焼夷弾2発の直撃を受け、社内は火の海となり、
 新聞を発行する輪転機や各種機械、器具、保存紙などが焼失しました。
 このため、13日付の新聞は休刊となったものの、
 14日付から毎日新聞社に印刷を委託して休刊を1日にとどめたとの事です。
 今回の特別紙面は、昭和20年7月13日(金)付けで、
 休刊となった1日分の再発行の体裁がとられています。

 休刊となったため、「新聞特報」と呼ばれる号外が発行されました。
 表面は宇都宮に70機が飛来したこと、
 裏面は職場に復帰するよう呼びかける記事などが並び、
 被害についてほとんど触れられていませんでした。
 14日付の下野新聞は、毎日新聞社に印刷を委託して発行されました。
 空襲について
 「老幼病弱者の待避と、軍官民の防空活動が理想的に行われた結果、
  先輩戦災都市に比較して、被害、殊に負傷者は非常に少なかった」
 「濃密爆撃も決死敢闘すれば勝てることを証した」などと記されていました。
 戦意高揚に腐心する軍の言論統制により、
 多くの死傷者を出し焦土と化した実態とは異なる内容で、
 当時の市民は実際の被害状況を知るすべはありませんでした。

 下野新聞では、「とちぎ戦後80年」の企画を続けていて、
 僕もその一環で、新聞に載ってしまいました。
 だからと言う訳ではありませんが、とても良い企画だと思っています。
 今回の特別紙面もその一環で、
 実際に空襲に遭われた14名の方の証言なども含め、
 宇都宮の大空襲のあった時の具体的な状況を知る事が出来ます。

 下記のアドレスから、今日の特別紙面をご覧頂けると思います。
 宜しければご覧下さい。
 https://www.shimotsuke.co.jp/feature/utsunomiya_airraid/


【今日の一句】
 水補給 やって欲しいな 口移し


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