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2025年01月20日22:06

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Facebookから転載

古代史研究会
Murakami Akemi

『縄文人のイメージはウソだった!』

竪穴住居に住み、数軒が集まってこじんまりした集落を形成し、互いに助けあって狩猟・漁労・採集で食料を調達し、貧富の差のない、管理者もいない社会で平和な生活を営んでいた・・
縄文人のイメージは、過去はこのようなものだった。
しかしそれは縄文人の「食」を見ていくといっきに崩れさる
狩りをし海や川で魚をとり森で木の実を集め手に入れた食物は、なんら加工せずにそのまま口に放りこんでいた、と考えられていた。

ところが、縄文人は、旧石器時代人のように「手から口へ」という食生活はしていなかった。
彼らは、採ってきた木の実を水にひたし、熱を加え、アクやシブをぬき、毒を含んだ物なら煮こんで毒性を消してから食べていた。
もちろん余ったときには、貯蔵までしていた。
食材も豊富だった。
千葉県の地山貝塚(縄文中後期)からは、大量のフグの骨が、伊豆大島の下高洞遺跡や北海道千歳市の美々四遺跡からは、イノシシの骨がたくさん出土している。
サケもマスも、かなりの量を捕獲していた。
サケについては、縄文期の気候が暖かったため、東日本の川には、遡ってこなかったとの説もあるが、たとえそうだったとしても、少なくとも青森県と岩手県の県境を流れる馬淵川にはサケが遡上していたことは、周辺遺跡の貝塚の遺物で確認されている。

縄文人は、自然が与えてくれるすべての食料資源をくまなく活用した。
食料源はそれだけ多様で、のちの農耕社会に比べると、各種類ごとの食料の量は少ないものの、その多様性はかなりのものである。
これは、飢えに対する縄文人の強い響戒心の表われでもあり、もっといえば、飢えを未然に防ぐ彼らの巧みな知恵であったといってもいい。
つまり、量は少ないが、種類を豊富にすることで、ある食べ物が一時的に不足したときは、すぐに他のものを食料に変えるなど、気候の変動に合わせて食料内容を変えることができた。
自然界に食料を頼る彼らは、どうしたら命を保つことができるかを、よく知っていた、というわけである。
命を保つという「食」の基本をクリアした縄文人は、うまいものを食べることにも貪欲だったようだ。

山形県東置賜郡押出遺跡からは、パン状の炭化物が出土している。
主原料はクルミ。つまり炭水化物だ。
それにタンパク源であるシカやイノシシの肉を粉末状にしてまぜ、水分を加えてねりあげて焼いている。なんと、クッキーである。
ここに、タンパク源である動物の肉を、どさっとほうりこめばハンバーグにだってなる。
クッキー状のもので一〇〇グラム当たり四三〇キロカロリー、ハンバーグ状のもので四セーキロカロリーと、かなりの栄養価になる。

炭素と窒素を用いて調べるコラーゲン同位体検査法で縄文人の人骨を調べてみると、その組成に日本の東西で大きな差があることがわかった。
関東から東北、北海道にかけての縄文人は、海獣、大型魚類、海産貝類、魚類、肉類など、どちらかというと動物性タンパク質を多く摂取していた。
反対に西日本の縄文人は、海獣、大型魚類、海産貝類、魚類、肉類などのタンパク源より、炭水化物を多量に取りこんでいた。
つまり、東日本の縄文人は、どちらかというとハンバーグ党であり、西日本の縄文人はクッキー党だった、ということだ。

食に関しての工夫や努力は、個人、あるいは家族単位のものだけではなかった。
いまでいう水産加工工場のようなものまで縄文人はもっていたという。
東京都北区の中里貝塚は、日本最大規模の貝塚である。
出てくる貝は、ハマグリとカキだけ。
しかも、大型で良質なものに限られる。
明らかに質を重視して選り分け、加工したハマグリとカキの専門処理工場だった。

このように、単に「食」の面だけ見ても、縄文人の姿は驚くべきものがある。
縄文人について、われわれが抱いてきたイージとは、あまりにかけはなれている。

◆日本最大級の貝塚
質の良い貝ばかりが出土された
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