前に話したかもしれません。
河合塾のある先生が、「やる気がある者は一人もいない」と言っていました。
その意味は、「確かにがんばって東大に入りたいという者は、多くいる。しかし、数学を極めようという者は一人もいない」という意味です。よくわかりますね。
彼は、旧帝大を中退して東大を出た人ですが、別に数学を極めるというタイプではなく、飄々としたキャラクターです。
ぼくもまた、みんなに学問を究めてほしいと願うわけではないです。むしろ、そういう人がいると、その人の将来の生活が心配になります。しかし、そういう学問を究めようとしているとしているつもりになっている人も含めて、確かに、やる気がある人はいません。
勉強をすると、さまざまな疑問に突き当たります。
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0
は、0を、限りなく小さい数と考えれば、無限大になるのではないか。
(「本当は…だ」という書き込みは、お断りします。)
尊敬語といいながら、
尊敬する人に使うのは、稀ではないか。
たとえば、校長先生など本当はどういう人かわからないではないか。
私も正直いって、
デカルトの方法序説を読んだとき、
「われ思う、ゆえにわれあり」
は、
「私がいると仮定してそれが疑っていると考えると、私が存在するということになる」
という意味だから、証明にはなっていないと思いました。
高校程度の勉強は、こういうのが当然ですが、
そういう疑問を究めようとする人、つまりやる気がある人がいない…ということです。
いろいろ背景にありますが、
入試問題などが悪いということも言えます。
また、アウトソーシングなども悪いです。
アウトソーシングすると、業者と雇う側の悪いとことが共鳴するという現象があります。いや、ほとんどがそうですね。
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