本日の世見 2024年6月22日(土曜日)
『沖縄』
奄美、徳之島にお出掛けになられたことがありますか?
古くは日本書紀に「海見嶋(あまみ)」と書かれていたみたいです。
この島々、日本に復帰して71年しか経っていません。
第二次世界大戦後、沖縄と共にアメリカ軍政下に入っていましたからね。
この島の人々のご苦労って、71年も経つと忘れている人ばかりのように思います。
江戸時代も、薩摩藩の支配でサトウキビ栽培を強制されていましたからね。
種子島も行ってみられると、この島で暮らした人々の息づかいを感じられることでしょう。
約3万年前の旧石器時代の「立切遺跡」があります。
屋久島、種子島って、古くから南方の文化が伝わる海上の道の終着点だったというではありませんか。
ポルトガル人が種子島に漂着して、鉄砲が日本に伝えられたのは誰もが知っていますが、遣唐使もこの島を中継地点にしていたといいますから、いったいどのような言語が出来ているのでしょうか。
薩摩藩の島津氏が琉球を攻略しなかったら、支配下に置かれることもなく、貿易は継続され、独立性を失うことなく、琉球王国はもっと何かを残したかもしれません。
南西諸島の中の琉球諸島の中でも久米島は小さな島ですが、中国の福州と琉球王国を結ぶ航路にとっては大事な島でした。
この島の支配者、伊敷索(チナハ)按司はかなり栄華を極めた人です。
宮古島岬−−平安名岬のことですが、呼び名はヒガシヘンナ岬と呼ぶのを知ると、やっぱり言葉が気に掛かります。
琉球は処分され、琉球王国が崩壊して沖縄県になったのは1879年でした。
この145年の間に、1945年の沖縄戦もありました。
あなたも沖縄に興味がおありなら、米軍上陸ルートを調べてみてください。
慶良間(ケラマ)列島や嘉手納(カテナ)の人々は、いかに恐ろしかったのかを感じます。
米軍はホノルルからサイパン、カロリン諸島、フィリピンから、1945年に沖縄を攻撃するためにやって来ました。
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