生徒と対すると、どうしても「叱責」ということをしなければなりません。
叱責にもさまざまな段階があります。
1 オメエの母ちゃんがアフォだから、オメエもアフォだ。
2 こんな問題解けないなら、死んだ方がマシだ。
3 この問題が解けないのは、✕✕という能力がないからだ。
4 やることをやってないから、問題が解けないのだ。
5 答えがまちがっている。
1は、アウトです。
私の時代もそんな先生はいませんでした。
2は結構います。私の時代にもいて、進学校でしたから、生徒はみなしっかりしていて、それなりに付き合っていました。いろいろなことを一々真に受けていたら、社会生活を送れないと。
2のように言われた人が、自分の人格を否定されたと考えたら、そいつの過剰反応だということです。もちろん、そこまで聡明な人は一部です。一般的にはモラハラに当たります。だから、言ってはいけない言葉です。
3は重大な指摘です。
たとえば、本当に能力がないなら、たとえば数学受験を止めるなど避けることも視野に入れるべきです。
また、考え違いをしている場合があります。
たとえば、和歌の解釈。一対一対応型でなければ解釈できない…と思い込んでいるからこそ、和歌が分からない。
「花の色はうつりにけりな、いたづらに」
なら、
「私の美しい容色は、この桜の花の色が色あせてしまったように、無駄に衰えたことよ」
とどんなに言葉を補っても、元の歌と同じ意味になればいいということを知っていないとないといけません。
3で最も重要なのは、
能力がないことが分からないと、能力はつかないということです。
能力は後天的に身につきます。
そのきっかけが自分の能力がないことを自覚することです。
4は、怠け者だということですが、怠け者は、とてつもなく欲張りです。
自分が怠け者だということで傷つきたくないのです。勉強しない安楽をむさぼって、しかも、勉強している充実感を得たいという、トンでもないのが多いです。
そこを指導するのが、家庭教育だと思いますが、今や家庭教育は衰弱しているのでしょう。
だから、勉強しているフリをしたいから、
教科書に線を引く。一生懸命に塗り分ければ、力がつくと思い込む(本当はそれではダメだとわかっているが、自分で自分を騙す。いわゆる自己欺瞞である)
その心理を粉砕しないと、その人は、絶対に伸びません。
…だから、12はダメとして、34をやっていかないと教育になりません。
ところが、今や5ですら、顔色が真っ青になってぶるぶる震える…という生徒がいるんですな。。まちがいさえも直せないなら、教育は不可能です。
そんなやつに配慮しなければならない、その労力と時間は全くの無駄でしかありません。
そんなことをしていたら、日本はつぶれます。
そこで考えるのは、大学受験生と大学生の立場の違いです。
大学生からは、ものすごくいい質問が出ることがあります。また、謙虚です。
どうしてでしょうかね。。
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