ロラン・バルトの『零度のエクリチュール』の話をしました。
その人らしさを失った文体だから、零度だと。
そう考えると、
Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.
という冒頭は、窪田啓作訳が有名ですが、一歩、どぎつくして。
「今日、母が死んだ。昨日かもしれない。知らない」
とした方がいいと思い、そう言いました。
その人らしさの喪失。
名前まで甘んじて放棄した例として、モーリス・ブランショを挙げました。
Maurice Blanchot
という名前を訳しました。白紙一郎。
Maurice はありふれたフランス人男性。Blanchotは、白いの古い形だからです。
医療現場での会話は、貴族だ、労働者だという出自や感情を喪失します。
だからこの二人の評価と意図は、とても参考になります。
難しいかと思いきや、わかってもらえたようです。
そこが、とっても嬉しいです。
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