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2024年02月26日08:37

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映画の魅力は、無償性にあるでしょう。ネタばれあり 特選

(ネタばれあり)

Unext で映画を見まくっています。

黒澤映画のような、メッセージ性がある映画もいいです。
しかし、黒澤映画はそのメッセージ性が具体的にはわからないように作られている点に注意が必要です。
メッセージが分からないと、映画を見たことにならないのか。
それは、おそらく違います。

子どもは、親のことを知的に理解していないでしょう。では、親との触れ合いを体験していないかというと、全く違います。分節言語にしていないだけです。それと同じです。評論家のように言葉にできなくても、映画は味わっています。

大学の同級生が、面白いことを言いました。
「本は研究するものではなく、読むものだ。」
そうですね。
同様に、メッセージの分析は映画鑑賞の際にやってはいけないことなのかもしれません。

逆に考えると、知的理解は体験とは逆のものです。
「君は、優秀でみんなに慕われています。だから、付き合ってください」
これは、求愛としては、失格です。
「とにかく、お前が好きだ」
こうしないといけませんね。

というわけで、メッセージ性のない映画を見なおしました。

昔から、何でこんなに面白いのか不思議だった、『復讐するは我にあり』(ただし映画。原作やモデルの事件と切り離して考える。玄人筋に評価され、興行的にも成功した)と、
玄人のだれもが名作だと評価する
『太陽を盗んだ男』です。
2009年の、キネマ旬報オールタイムベストでは、『生きる』『雨月物語』などを抜いて、堂々の第七位。

『復讐するは我にあり』が引き込まれるのは、リアリティです。リアリティとは、作りものではないということです、非合理や不条理をそのまま映し出すということです。

小川真由美の殺人犯に抱かれ忘我の快楽の中で呟く「先生の子どもがほしい」という言葉。何よりもあの着物。キレイで若々しい着物は、母親、清川虹子の未来への淡い希望が結晶したものでしょう。だが、世間的な意味で、決して幸せにはなれない。
しかし、だからこそ美しい。

よく、経済や政治や倫理学で、功利主義や合理的行動という言葉が出てきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%88%A9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
J・S・ミルが代表的であり、彼は、合成の誤謬や自然主義的誤謬を冒していると言われ、その通りだと思います。
だが、私が、ミルやベンサムの議論で一番いけないと思うのは、
現実には、人は幸福を追求して行動しないということです。
でなければ、受験生はみんな必死に勉強しているはずですが。

その当時の話でいえば、イギリスの猥雑な貧民窟に住む与太者は、酩酊という快楽を追求してジンを飲むのではないでしょう。純粋にジンを飲むのが好きだからです。そして、別にアル中でなくても、顔をしかめながら、「まずい」とつぶやいてジンを飲む場合もあり得ます。
「好きだ」ということと「快楽」や「幸福」を短絡させている点が、議論としていけないところです。

同様に恋愛も、快楽追求ということになれば、有望株につくでしょう。
そういうことがない、女性の純粋さを、母性的であり性的魅力のある小川真由美が好演しています。

『太陽を盗んだ男』は、一言でいうと、あまりにも面白い映画です。
サスペンスやアクション映画として見ても、最高です。
中学校の理科の先生の沢田研二が、東海村からプルトニュウムを奪い、原爆を作って政府を脅迫する。要求も、自分が欲しいものが分からないから、最初は、「ナイターを最後まで中継せよ」「ローリングストーンズの日本公演を実現させよ」だったのですが…
1979年という時代は、七十年安保が跡形もなくなった時代。キーワードは「しらけ」です。散文的生活にうずもれるのも「しらけ」ですが、無縁になるのも「しらけ」です。その極地です。

もう一つ、参考になったのは、
これだけ面白いのに、
監督がその後映画を撮っていないことです。

本当に満足の行くものを作れたからでしょうか。

そういう体験をするためにも、何かを成し遂げないといけないと思います。
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