1月18日に岸田総理大臣が、突然、岸田派の解散を宣言して以来、
自民党内6つの派閥のうち、4つの派閥が解散を決め、
残る麻生派と茂木派の2派閥は運営方針を見直し、
政治団体として存続する方針です。
しかし、25日に小渕優子選挙対策委員長が茂木派退会を表明した後、
退会を表明する議員が続いています。
あたかも、沈没する船から鼠が逃げ出すような感じがしていますが、
これは言い過ぎでしょうか?
派閥は法律での規定がある訳でなく、自民党の「任意の勉強会」を指します。
1955年の結党当初から存在し、
政治家の教育機能を担って来たのは間違いないと思います。
相次ぐ派閥解散表明まで、自民議員の8割以上が所属していました。
政策集団とも言うように、派閥ごとに目指す国のあり方や政策は少し異なります。
例えば党内最古の派閥で岸田文雄首相の出身派閥でもある宏池会は
伝統的に「軽武装・経済重視」の考え方を取ってきました。
1960年代以降、自民党政権で首相を務めたのはほとんどが各派閥のトップで、
自民党の総裁になるためには派閥からの支持が欠かせませんでした。
かつて、衆議院議員選挙が、中選挙区制だった頃は、
自民党では、1つの選挙区に2人以上の候補を立てて来て、
同一選挙区内の自民党の候補者は、別の派閥に属するのが普通でした。
これは、自民党を適当な大きさに分割して選挙戦を行うようなもので、
それによって、自民党は多数を得て来たのだと思います。
また、派閥が推す候補者の当落は、派閥の力関係にも影響して来ました。
しかし、1994年の公職選挙法の改正によって、小選挙区制が導入されると、
小選挙区では2人以上の候補を立てる意味が無くなり、
派閥の持つ意味も違って来ざるを得ないものだったと思うのですが、
それに自民党の派閥が対応できないでいる内に、
裏金問題によって、派閥を解散せざるを得なくなるまでに至ったのだと思います。
人は3人寄れば派閥が出来ると言いますが、
全く同じ意見の人はいない訳ですし、
自分の政策を実行しようと思うと賛同者を得る必要があります。
更に、これまでの議員は、体育会的で、
当選回数が1期違えば、発言力も全然違う社会だったような気がします。
一応、派閥は解散して、政策集団との体裁になるのでしょうが、
そうした活動は、政党助成金の範囲内で行い、
金の問題はクリーンな存在であって欲しいと思います。
なお、明日は所用により日記などは休ませて頂きますので、
お含み置き下さい。
【今日の一句】
豚汁に 共喰いちゃうよと 言い訳し
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