世界は日本の「昭和元禄」とは関係なく、大きな動きを見せはじめていました。ひとつがベトナム戦争です。そもそもは昭和37年(1962) 2月に、アメリカは在ベトナム軍事援助司令部を設置して、軍事顧問団4千人を南べトナム(ベトナム共和国)に派遣しました。
これが北ベトナム (ベトナム民主共和国)と、その後ろ盾になっているベトミン(ベトナム独立同盟会)とを刺激します。それでなくとも、攻撃側はもっぱらベトミンの兵士(いわゆるベトコン)でしたが、南と北の間では内戦的な流血のゲリラ戦が繰り返されていました。
結果としては、このアメリカの積極的な南支援の介入が本格的な戦闘へと展開させることになったといえます。小競り合いが激化の一途をたどっている間に、昭和39年(1964) 8月、トンキン湾で北の哨戒艇が米駆逐艦二隻を攻撃するという偽装事件が起きました。
米大統領ジョンソンは議会から、以後あらゆる武装攻撃を武力撃退してよいという権限を与えられました。これに基づいて十分な攻撃準備を整えて、ジョンソンは昭和40年(1965) 2月7日についに大々的な北ベトナムへの爆撃命令を下したのです。
それまでアメリカ軍は、介入はしていても、実際の軍隊を投入して直接北ベトナム兵と戦うことはなかったのです。しかし、この日と翌8日、実に70機余の艦上攻撃機が一気に国境を越えて北ベトナムを攻撃したのです。
さらに8日には朝鮮戦争以来はじめて重武装の海兵隊が投入され、いよいよ大戦争へと踏み切ったのです。以来、27ヵ月に及ぶ北爆は、戦費16億ドル、出撃機数20万機余、投下爆弾16万トン余と言われています。ものすごいものです。
総指揮をとったのがかのカーチス・ルメイ大将そうです、大東亜戦争で日本本土のほとんどの都市を焼き払ったあの将軍です。彼は豪語しました。「北ベトナムを石器時代の昔に戻してやる」と。これを新聞で読んだ国民は、声もなくただ驚いたといいます。
この年の秋、原子力空母エンタープライズに物が盛んに運び込まれていました。爆弾や油を積んでベトナムに出航するのです。赤い爆弾も格納庫に入れているので原子爆弾も積んでいたのです。
十二月の初めの新聞にでかでかと「エンタープライズ北爆す」の記事が出ています。原子力空母を投入するほど、アメリカは全力を注いでいたわけです。こうして実戦部隊がどかどか入ってくると、今度は対抗して中国やソ連が介入してきまして、ベトナムは冷戦下にある大国の代理戦争の犠牲となったのです。
この戦争は何年も続き、世界を随分ガタガタさせることになりました。一方で当然、平和を望む人たちは多く、世界大戦に直結するようなベトナム戦争に対する反戦運動が世界各地で起こります。
日本でもそういった声が大きくなり、共産党や社会党の後押しなしで集まった人たちが「ベ平連(ベトナムに平和を。市民連合)」を結成しました。これが翌昭和41年になりますと、日本ではビートルズに沸いたりしていたのです。
世界のあちこちでは、自分たちの国の政治・経済・社会のシステムが硬直化している、要するに、閉塞的で出ていくところがない、頭から押しつぶされているように感じている若者たちが、大人社会を猛攻撃するといった意味の、結果的には反政府運動が噴出していくのです。
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