昨日の下野新聞の訃報欄に、
僕が中学の時に国語を教えてくれた先生のお名前がありました。
少し前、いつだったかたキチンと記憶していませんが、
中学の時に数学を教えてくれた先生の訃報もありました。
続けて、お二人の恩師が亡くなった事になります。
中学の時、3年間担任だった女性の先生は、2010年4月に亡くなっています。
国語の先生も数学の先生も、3年間教わったような記憶です。
お二人とも、中学を卒業して以来、お会いしていないような気がします。
それぞれ、中学の校長になって退職されたようで、
訃報の肩書欄に、各中学校の名前が書いてありました。
お二人とも享年が80代後半でしたので、
僕が教わっていたのは、30歳前後だったと思いますが、
もっと年上だと思っていましたが。
数学の先生は、細身で活動的な先生で、
元気があって、明るく授業をしていて面白い先生だったとの印象です。
これに対して、国語の先生は、物静かで落ち着いていたような感じで、
何があっても慌てないような感じがしていました。
国語の時間、漢字の書き取りの試験の時、
僕は「渋滞」の字が読めませんでした。
先生が脇を通った時、僕の答案が目に入ったのでしょう、
「フライパン」と小さい声で呟いてくれました。
それを聞いた瞬間、あ、「じゅう」かと閃いた事がありました。
教科書に、長塚節の下記の短歌が載っていました。
「白埴の 瓶こそよけれ 霧ながら 朝はつめたき 水くみにけり」
この歌の季節は、「霧」が使われているから秋だと先生がおっしゃいましたが、
僕は、「朝はつめたき」だから昼はぬるくなる意味で、
全体的な印象として夏の朝ではないかと、先生に話した覚えがあります。
その後、この歌は平福百恵が描いた「秋海棠」の画賛の歌と知り、
やはり秋だったかと思った事がありました。
恩師が相次いで亡くなりましたが、
美術を教えて下さった先生は、今も作家として活躍していて、
最近、個展を開かれたりしたような話を聞きました。
80歳を過ぎて奥様を亡くされましたが、
20歳位年下の女性と再婚したとの噂も聞きました。
恩師が元気に頑張っている話を聞くと、
僕なども、まだまだ老け込む訳にも行かないですね。
【今日の一句】
来るという 幸せ待って 七十年
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