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2023年06月15日09:39

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やっちゃん回想録 6 生徒から学んだこと (特選)

この問題はポツリポツリと、数回に分けて述べたいと思います。

私は、小論文の講師でもありますが、某大手予備校では小論文での応募はやめておきました。自由にやりたい…というような、像を結ばない情緒のようなものが原因でした。
とはいえ、医学部予備校など多くの場所で小論文を教えてきました。

こちらが考えさせられたことが多く、そういう意味では実りがありました。
たとえば、体験談にはいい答案が全くないこと。
二万枚以上の答案を見て、正確に一枚でした。甲子園で逆転スリーランを打った人でも同じです。いいことが言えません。

一枚だけいい答案がありました。
親と仲が悪く、高校に退学届けを出して、単車に乗って家出する。
水戸街道を北上し、茨城県取手市でガソリンが切れる。「すいません、マスター、住み込みで働かせてください」数か月経って、また、仙台へ…
ということを二年繰り返した人がいます。
彼の体験談は素晴らしかったです。今頃はいい医者になっているでしょう。

いや、「甲子園の逆転スリーラン」の方がすごいではないか…
そうですが、甲子園で逆転スリーランは、新たな意味づけはゼロです。家出した彼は、日々に新たです。

この間、稀に見る有望な女子に、「なぜ、ゲームやカラオケは体験にならないのか」という話をしました。
鷹狩りは体験だがそういう体験が失われたという話です。
鷹狩りは自分で思いついた例ですが、体験とは何かということは、先の家出した彼から学んだことです。

鷹狩りは、鷹を懐かせるために懐に入れて育てて、餓死寸前にして放ちます。満腹させると獲物を取らないからです。ところが、餓死する場合もあり、逃げてしまう場合もあります。だから、鷹のコンディションや個性を観察するわけですが、言語化できない雰囲気やにおいまでも動員します(犬や馬と違って判断の方法が確立していないから、一羽一羽が全く違うからです)
つまり、成功するかどうかは別として、言語を越えたところに立とうとする(方法を教えてくれる先達がいない状態で意味を模索する)少なくともそうした心構えを持つ営みが、体験です。

その対極にあるものが、ゲームでしょう。
ボタンを押すと鷹が飛び出してくるという…

と考えると、豊かな体験を称揚し、なおかつエビデンスを求める…という現在の教育(主として高等教育)は矛盾していますとも言えます。エビデンスを重視するとは、「ボタンを押すと鷹が飛び出す」状態を最上とし、しばしば他を認めないものだからです。

他のテーマでも、この鷹狩りの話は、
「青年心理」「教育」「詰め込み主義の弊害」「自己確立」
「インフォームドコンセントに必要なこと」「自己決定権」(共に、マニアルの不毛)
など、意外と応用範囲が広いです。

例から、新しい意味が生れるのが本当の姿です。
意味を当てはめた例を並べるのは、全く意義がありません。だからこそ、家出した彼の体験は尊く、甲子園の逆転スリーランは文章にすると大したことがない。
また、例から生まれた新しい意味は、時には人間観も変えます。

…東郷克美先生の、『魔界の彼方へ--「二人で一人,一人で二人」の幻』という論文です。
川端康成の小説は、二人の女性が一人の女性となり、一人の女性が二人に分裂するというようなヴィジョンが見られるという指摘がある論文です。
『雪国』の駒子と葉子、『古都』の千恵子と苗子。
最後の方で、さりげなく、川端が浅草にあった双子の姉妹を抱かせてくれる遊郭に登楼して、心身がしびれるような感覚を覚えた…と書いてあります。

その通りかと思います。恋愛は一人しかいない相手の中に二つの存在をみようとすることであり、二つの存在を一つに統合することだと思います。つまり、目の前の存在を論理的に無化することです。その秘密を、浅草の淫売窟で「体験」してしまったからこそ、川端はしびれたのでしょう。

例を既成の意味に当てはめるのではなく、例によって既成の生活世界の意味を塗り替えること…
やっと、評論が単なる高級読書感想文でないと理解できた瞬間でした。
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