最終回が最高だった少年漫画ランキング!鋼の錬金術師、タッチ、SLAM DUNK、1位は?
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=7394707
あの最終回を読んでいない人はわからないと思います。
ジョーがリングのコーナーに微笑みながら座っているところで終わっています。
死んだのでしょうか。試合に満足したのでしょうか。。
しかし、
1 コマが小さかったのがいい。
一面ぶち抜きではないのです。
だから、リングサイドの熱狂の中、ジョーに個人的な最終回がきた。そういう意味が伝わります。
ジョーが死んだとしても、社会は全くその動きを変えません。人間の死はそういうものであり、人生のある営みが完結することもそういうことでしょう。
2 作品が作者から自立して動き出している。
あのラストシーンを作ったのは、梶原一騎ではなく、ちばてつやです。
そこのところ、Wikipediaの記事がわかりやすいです。
【 ちばの後年の回想によると、梶原から伝えられたラストの内容は「ホセ・メンドーサに判定で敗れたジョーに、段平が『お前は試合では負けたが、ケンカには勝ったんだ』と労いの言葉をかける。ラストシーン、白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」というものだった[8]。これに対してちばは「ここまでやってきて、『ケンカに勝った』はないじゃないか」と考えて、電話で「ラスト、変えますよ」と梶原に伝え、梶原も「ああ、任せるよ」とこれを承諾した[8]。その結果出来上がったのが「真っ白に燃え尽きた」ラストシーンであった。
(中略)
…ちば自身がラストシーンを作ることが決まり、アシスタントとともに締めくくりをどうすべきか考え、20通りのアイデアが出るもどれもちばの納得のできる内容ではなく、締め切り時間が刻々と迫る中、悩んでいたところ、本編を最初から読み返していた当時の担当編集者が、ジョーが紀子に「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ」と語るシーンを発見し、「これこそあしたのジョーのテーマではないか!」とちばに差し出した[10]。ちばはこの意見に同意し、これを基にラストシーンを描き上げた。その後、5日間は何もできず、「ご飯もおかゆしか食べられなくて、家族も心配していた」と週刊誌の取材に述べている。】
【 梶原は後年「あしたのジョーはちばてつやの作品であり、社会現象も彼のおかげだ」とさいとう・たかをに語っているが、ちばは「ジョーはね、私の物でなければ原作者の物でもありません。もうジョーは読んで下さった読者のみなさまの物ですから」と西原理恵子の著書『西原理恵子の人生画力対決』にて語っており、近年流行っている漫画のリメイクなども「オファーはあるが自分の一存では決められない」という】
これぞ、傑作の象徴です。
たとえば、谷崎潤一郎の『春琴抄』
盲目だった美しい春琴が熱湯を浴びせられて、醜い顔になる。その顔を見ないようにするために、佐助は自分の目をついて失明する。
そういう物語ですが、春琴に熱湯を浴びせたのが、誰であるのか。佐助犯人説(自分の春琴に対する愛情を完結させるためにやった)、春琴犯人説(佐助の愛を確かめるためにやった)という説もあります。
作品が読者の中で動き出すとは、作品が多様な解釈の可能性を帯びるということ以外のなにものでもありません。
いうまでもなく作品は一つです。
ジョーが死んだとも、
あるいは戦いに満足したともとれる
が、誰にとっても厳然と客観的に存在するラストシーン。
これぞ、読んだ人間が感銘を受ける傑作シーンです。その唯一の形です。
ログインしてコメントを確認・投稿する