今年のNHKの大河ドラマは、「どうする家康」です。
僕は観ていませんが、ご覧になっている方も多いかと思います。
そんな事からなのかも知れませんが、
先日、家康の遺骸がどこにあるのかとの論争で、
新しい証拠が見付かったとのネットの記事がありました。
僕は、家康の遺骸は、
日光東照宮の奥社宝塔の中に安置されているものと思って来ました。
しかし、それに対して、
静岡市の久能山東照宮に安置されているとの説があり、
関係者の間で論争が続いているとの事です。
1616年4月、家康が駿府城(静岡市)で亡くなると、
遺骸はその日のうちに、約10キロの距離にある久能山へ移されました。
日光に移されたのはその1年後です。
家康の一生を絵巻物にした東照社縁起には
「元和3年(1617年)、神体をば金輿に奉り、
4月4日には日光山に着かせたまふ」と記載され、
棺は日光東照社の奥社の宝塔に納められたとされています。
因みに現在日光東照宮で行われている百物揃千人武者行列は、
この時の様子を再現したものと言われています。
これに対して久能山にあるとする説がある訳ですが、
研究者の間では、日光に移されたと見られています。
今回見付かった資料は紀州徳川家に残っていた文書で、
やはり日光に埋葬されている事を補強するような文書のようです。
分からないのならば、宝塔を調べて決着を付ければ良いとも思いますが、
日光東照宮の奥社の宝塔には、明治以降人が入っていないようです。
これは久能山も同じで、どちらも調査が行われていません。
そのために論争があるのでしょうが。
下衆の勘繰りとしては、両東照宮とも、無かった場合を考えて、
調査しないのかもとも思うのですが、これは分かりません。
ただ、いずれにしても、歴史に対する影響はそれほど大きくないような気もします。
そのまま調べないで置くのが良いのかも知れません。
日光東照宮の脇には、輪王寺が管理している大猷院(たいゆういん)と言う、
三代将軍家光の廟所があります。
家康を尊敬していた家光が、死後も家康に仕えたいと、
自らが廟所を定めたとも言われています。
この点からも、日光に遺骸はあるのではないかと、僕は思うのですが。
なお、明日は所用により、日記などを休ませて頂きますので、
お含み置き下さい。
【今日の一句】
クラス替え 不良ばかりが 集められ
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