■ハロウィーン本番へ警察庁が事故防止を指示 「自治体と交通整理を」
(朝日新聞デジタル - 10月31日 11:56)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=7169088
祭りで放散し、本当の自分や、本当に自分がしたいことを見つけた、知らなかった快楽を見つけたという話は多くあります。
たとえば、団塊以前に田舎で生まれた人には、配偶者と祭りで知り合ったという人が多くいます。普段は接点がない近くの集落の娘で、木陰で逢引きし、(たとえば)おなかが大きくなってから村の顔役のオバアに仲人(文字通りの、仲介者)を頼んで夫婦になった、
楽しくて木の上で笛を吹いていたら「師範に行って、笛の師範になれ」と言われて、その通りにして音楽の先生になった、
年長者に酒を勧められ、この世には、無限に楽しいことがあるということを知り、都会に出たなどです。
祭りの放散とは、異質なものを結びつけることでしょう。
昔は、人はムラに住んでいました。隣ムラは、確かに柳田国男がいうとおりの異界だったのでしょう、亡くなった先祖は、ムラの山の向こうにいてお盆に帰ってくる。
その程度の世界観だった人が、祭りをきっかけに外の世界にあこがれるが、外に行っても行っても、異界と呼べるものはない。「東京の人はサッパリしていていいね」などというものの、やはり、金銭欲や権力欲、色欲などが行動原理である…
永遠に終わらない自分の生きるニッチ探し。
それを、学歴だの職だのというたまたま手にした小さなもので満足したら、その人の青春は終わります。裏返せば今ある場所と別の場所を橋渡しして結ぶ努力を続けていれば、その人はいくつになっても若々しいと思います。
大学のオバアさん教授が少女のような感受性を持っていたり、甲子園球児が、商店街の顔役のオヤジに見えたりするのはそうした理由からでしょう。
ハロウィーンは、祭りです。
神社のご神体が白蛇の死体だったりするように、ハロウィーンの核心には何もない空洞だということをみんな知っているからです。すり鉢の底にあり、人は集まるがだれも住んでいない谷のほとりで盛り上がるのは、象徴的です。
付言すると、異質なものとの結びつきですから、鬼の扮装をした人が鬼でないように、裸みたいな扮装をした女の人は娼婦ではありません。
喧嘩、薬物使用、窃盗や盗撮などの犯罪…という弊害はともあれ、
健全であり通過するべきイベントだと思います。
ログインしてコメントを確認・投稿する