mixiユーザー(id:12410478)

2022年01月16日20:18

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節目の歳を迎えました。

多くの誕生日のメッセージをいただきまして、ありがとうございます。

ここしばらく、年齢的な問題もあり、「死」について人と話すことが多いです。

「死」がどんなものか、自分の中でまとまっていません。

一つの説は、六道輪廻せずに、消えること。
(全身麻酔の時の経験からです。)

そうすると、自分の生がなかったことになります。
三日前の悪夢のように、なかったことになる。
そうすると、人生のはかなさに対する心残りや、残される子どもに対する執着などは、今生の出来事です。死ねば、なくなりますから、今生の心の持ちようこそ大切です。

『病院で死ぬということ』という、山崎章郎
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%97%85%E9%99%A2%E3%81%A7%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8&fr=top_ga1_ext1_bookmark_sa&ei=UTF-8&ts=11932&aq=-1&oq=&at=&ai=e16b83a1-b0ad-4136-b7ca-144af32c4d14
という書物があります。

この書物は、末期医療についてのノンフィクションです。特にお医者さんが書いたという点で、貴重な示唆を与えてくれますが、死との関連でこの本は興味深いです。

祖父の亡くなった場所は、自分の屋敷の座敷でした。
枕頭に三兄弟が並んで座ったのだそうです。「お前たち、芸者とコメ相場には注意せよ」といって、伯父が株とホステスで失敗した…というのは、ギャグのようなものですが、
そのとき祖父は、自分の人生を振り返ったのだと思います。
肯定的にか、それとも否定的にか。否定的に振り返る場合でも「この病気の苦しみはすぐ終わる」とか、「☓男はどうしようもない軟弱者だが、生きているだけでも尊い」などと、意義付けることが出来ます。
それを行わせるためには、著者がやっているような、
在宅ホスピスケア
https://caretownkodaira.net/clinic/index.html
が重要かもしれません。

その振り返りができる場所は、死刑囚舎房などはもっとも適切だという理屈になりそうですが、実際は、「手遅れで手術しない」という状態で死を待っている患者さんができ、死刑囚は出来ないでしょう。この両者の差というのも、非常に興味深いです。

話を戻しますと、死ねば全てがなくなるのですから、何かを残したいという気持ちも死後の世界に対する気持ちのようにみえて、現在に対するものだということになります。

そういう気持があるということは、絶望しているように見えて、そうでもない。この世界に対する希望のようなものがあるからですね。

しばらくは、その希望とは何かを考えてみたいと思います。

(あまりにも抽象的なので、後日、続きを書くかもしれません)

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