結構、まじめに作りました。
Sway は、学生だけが閲覧できますので、資料などを置くのに便利です。
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【 敬語 参考文献 】
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/keigo_tosin.pdf
が、『敬語の指針』2007年の文化庁作成(文化審議会答申)です。
これが、公的な敬語運用法であり、なおかつ、(細かいところはいろいろな意見がありますが、主要な論旨については)学会からも支持されています。
だから、この指針におおむね則って教授します。
注意
1 4Pに「へりくだる」という言葉が見えますが、全部を読めばわかるように、「へりくだる」は、敬語を使う話者の心理です。人は「へりくだる」という心理から出発して、動作の向かう先の相手を立てる謙譲語を使います。「へりくだる」「自分を低める」は、15〜17Pに明らかなように、なんらの意味でも、謙譲語の定義ではありません。
(皆さんのことではないですが、近頃、ブログなどの作者に飛ばし読みしかできない人が増えています。勝手に単語を拾い上げて結びつけたら、いくらでも勝手な解釈ができてしまうので、そうならないように、皆さんも注意しましょう。)
2 あくまでも、現代語の敬語について述べたもの。古文は、別です。
その他の参考文献ですが、
合格点をあげられるのは、
『敬語ひとり稽古』余田洋実 だけ。
ただし、この本も、二つまちがいがあります。
� 屬�る」を謙譲語としている
「おります」なら、謙譲語です。しかし、「社長、ご安心ください。私でしたらここにおる。」などということは出来ません。ですから、「おる」は謙譲語ではありません。
��謙譲語を「自分の行為に対して使う語」だとしている点。
たしかにそういうケースは数的に多いですが、「新人の山田君も社長に申し上げたが、社長は、聞いてくださらなかった」という言い方は成立します。動作の受け手の社長を立てる言い方ですが、山田君の行為ですから、厳密には誤りです。
私は、�,魯櫂�、�△亙�便(知識がない人にはここまで単純化した方がわかりやすい)と思っています。
二つまちがいがあると書きましたが、「じゃあ、やっちゃんさん、アンタが書いてよ」と言われたら、この本をしのぐ使いやすい実用的な本を書く自信はありません。素晴らしい本です。
また、
『敬語』菊池康人
は、本格的な本です。今は講談社学術文庫から出ていますが、初出が1997年でして、文化庁の『敬語の指針』の十年前です。ですから、謙譲語の説明は「動作の対象を立てる」と同時に、「自分がへりくだる」という面もあるとしていて定説とはいいがたいです。そこさえ気を付ければ得るものが大きいですが、分厚い本です。索引を頼りに、拾い読みするのがいいでしょうね。
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【 敬語の周辺 】
もう一度いいます。
謙譲語は、話し手がへりくだる言葉、自分を低めて表現する言葉では、ありません。
1 去年の学生諸君の誤解について。
授業で四回は言っているにも関わらず、「謙譲語が、自分を低める言葉だとわかった」というレポートが、まじめな人から出たときには、びっくりしました。感想は次の通りです。
a 授業は上の空だが、後で勉強するというクセが身に付いています。
勉強の方法として、せいぜい、高校生どまりの勉強法です。改めないと大学以上の勉強ができなくなります。変な勉強法が身に付いてしまったその結果、ほとんどが間違いであるネットに引っかかって、理解が進みません。ネットのサイトは、素人がイメージで語っているような、とんでもないのがほとんどです。
b 何回も言われたことが守れないのは、問題です。
人の話をついつい上の空で聞いてしまう人は、その癖は直してください。私は国文でしたから、適当にやっても何とかなりますが、皆さんの場合、深刻な医療ミスにつながりかねませんから。
c まちがった内容の本が出回っています。
インターネットのサイトは、論外ですが、本もひどいです。もう一度言いますと「国語表現法」は、『敬語の指針』2007年の文化庁作成(文化審議会答申)に則っています。政府の公式な見解です。政府のいうことなら正しいというわけではありませんが、この説は学会の通説です。だから、「自分がへりくだる」などとしているのは、単なる間違いです。
そんなまちがいがなぜ流布しているのでしょうか。
イ 書き手が学者だけではなく、ジャーナリストやエディターなどの場合がある。
ロ 一般書だから手を抜いている。
ハ 学者が名前を貸しているケースがある。
ニ 敬語の定義は便宜的なものだと考え、軽んじている。
といった理由もありそうです。
本の体裁を取っていて、店頭に並んでいるものでも、ダメなものはダメです。中には、2007年「敬語の指針」をわざとなのか、完全に誤読している本さえありました。よく、「ネットを信用するな。昔通り、本を信頼せよ。」と言います。しかし、そうではないケースもあるのですね。
私の方の反省として、
『勘違い敬語の辞典』西谷裕子
という本を薦めたのが失敗だったかもしれない…という反省があります。「この本には謙譲語を『へりくだる』と説明しているが、そこはまちがいだから、十分に注意せよ。」と、それこそ五回は言いましたが、スルーされたのかもしれません。この本は、その他の点ではいい本です。ですから、謙譲語を「自分を低める、へりくだるではない」と正しく理解している人は、読んでも構いません。
2 2007年『敬語の指針』の成立する理由
謙譲語が「動作の向かう先を立てる」言葉である理由。
〇「日曜日、社長のお宅に伺います」という文章は成立しますが、
☓「日曜日、叔母の家に伺います」は言えません。したがって、「伺う」は、自分を低めている言葉だと考えることは出来ません。
謙譲語2が(謙譲語や丁寧語とは別個に)存在する理由
〇「日曜日、叔母の家に参ります」といえる。その場合、叔母を敬っているわけではないから、「動作の向かう先を立てる」言葉とは言えません。
ところが、
☓「日曜日、社長は、山田君のうちに参ります」とはいえません。
この「参る」が、「ます」のような単なる丁寧語なら、真ん中の「……」に何が入ろうとも、
〇「日曜日、社長は、……ます。」と表現できるはずです。
目上の動作に対しては使えませんから、単なる丁寧語とは異なります。
また「参ります」の「ます」は、丁寧語です。「参り」は丁寧語ではないから重ねることが出来るという見方も可能です。
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