弁当の起源は、大昔に遡ります。少なくとも平安時代にはさまざまな文献に表れます。
当時は、干し飯が主流でした。お米を蒸したものを干して、シリアル状にしたものです。
これが結構いけるだろうというのは、オートミールを水煮して永谷園のお茶漬け海苔をふりかけたものが、かなりうまいところからわかります。
干し飯としか書いてありませんが、干しワカメや栗や胡桃、あく抜きした栃の実などは、一般的でした。それらが混ざっていたとしたら、井戸水などで戻すと和風シリアルになったでしょう。
また、餅もマカロニや小麦粉のような使い方が可能です。
戦国時代は、弁当を持って野山に行くのが特別なことではなくなりました。
むしろ、戦場に出たからこそ食えたのです。沼田を取った上杉謙信が真っ先にやったのは、住民を奴隷に売ったことです。歴史から学ぶには、歴史の正確な把握が第一です。しかし、最近は頭のおかしい人が多いから、話したくないですね。平成不況のほとんどは、自民が与党の時期です。そこを外しているのと話するには、授業料を貰わないと合いません。
話がズレましたが、
戦国の実態から見えて来るのは、食えれば、悲惨な争いは起きないということです。
足軽に庶民が志願したのは、飯が食い放題でそちらの方が生き残る可能性が高かったからです。
ですから、勢い、栄養を取るためのものが多かったです。
ボリボリと、いつどこでも食える炒り米の他に、
山椒の粉、芋茎、山芋の粉、甘酒など栄養価の高いもの。
松の実、胡麻、葛など精神安定に利するもの。精神安定のために手っ取り早いのは、水銀の化合物の朱だと、三千回峰を達成したご法師さんからお伺いしました。
それら薬種を芋茎に包んで、ベルトのようにして、腰に巻き付ける。
ちなみに、足軽が被った鉄の傘は、ひっくり返して鍋にします。芋茎の中身を千切って汁にします。
酒も精神安定剤代わりに、よく使われたそうです。
そういう、日常と違う食べ方をするのが、弁当であり、わざとそうするのが弁当の醍醐味でしょう。
この、ウィンナーを詰めたアルミの弁当箱の弁当は、うまいと思います。
私は学食で、ソーライス(ライスに卓上のソースをかけたもの)を食べた最後の世代かもしれません。
家ではオカズがソーセージだったり、ご飯にソースをかけることはないですが、弁当ならキッチュな気分が身上です。
かえって美味しいでしょうね。。
アルミ製の弁当箱にウインナーが敷き詰められ…懐かしさあふれる「俺の弁当」作り続ける理由
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6536885
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