前半1/3の趣旨は、
悪いことをした人(高校生であれ刑務所の受刑者であれ)は、ほとんどが、反省していない。
↓
無理に反省文を書かせると、心の負担になり、はけ口を求めるようになる。
という内容です。
確かに。
たとえば、我々は今までの人生で他人からひどい目にあわされた経験はあると思います。
いかがでしょうか。ぼくは、相手から謝罪されたという覚えは、ほぼありません。
あるとしたら、「この間、公務員の悪口を言ったけど、おまえの父親も公務員だったな。すまん。」などの軽い失言です。もちろん、こんなのは、ひどい目にあわされたうちに入りません。相手のミスによる交通事故で謝罪されたことはありますが、わざとではないですから、悪意を反省したわけではありません。
という経験から、人間はほとんど反省しないと考えた方がいいですね。
それでも無理に反省させるというのは、相手にウソをつかせることでしょう。ウソをつかせるというのは、普通に考えられているよりも、はるかに悪いことでしょう。
そういえば…と思うことがあります。
私は、予備校講師生活が長いですが、成績に関係なく、絶対に落ちる人がいます。
渡部昇一上智大学名誉教授は、思想的に、ちょっとアレな人ですが、院生時代に家庭教師をして、
「(宿題をやっていないのにやったなどと)嘘をつく子」「思い付きで答える子」この二つは成績が伸びない。
と言っていました。その系統の人は、確かに落ちます。
たとえば、
「人によっていうことが違う子」
「自分が経験していないことについて評価する子」(例 サラリーマン生活はこうあるべきだ)は、絶対といっていいほど、合格しません。
物事の理解には、通り一遍の浅薄な段階と、深い理解があります。
ちょっと考えると、人を欺くような者や自分をゴマ化すようなものは、失敗して当然だ…というように受け取れるでしょう。
ところが…
人を騙したり傷つけたりする人間が、好成績を収めることがあります。
自分をゴマ化すのは、万人が同じです。自分の仕事の反作用などが典型です。自然破壊や環境汚染のことなど考えないふりをしないと、ゼネコンなど勤まりません。もちろん、ゼネコンの社員は、東工大など一流大学を出た人が多く、三浪して☓☓産業学院大学を出た人などいません。
だから、これはまちがいだとわかります。
この、見込みがない子は、ウソをつく人、自己欺瞞がある人というより、事実に即さない人と言った方がいいでしょう。
そんなことを考えたのは、この本を読む前で、かれこれ十年程前ですが、
ポツポツ、模試の成績が悪く、合格するはずがないのに、「こういうヤツに限って合格するんだよな」という生徒がいて、予想通り合格する…ということが続きました。
ある生徒が多浪して、医学部に合格したとき、祝賀会を開いていただきました。
お父さんは一代で巨万の富を築いた人です。
その、お父さんに「�章嵯�は、自分が不調なときに、それを隠しませんね。素晴らしいです。」と言ったら、
お父さんは、「ええ、それだけは厳しく躾けました」とおっしゃいました。個人指導が終わると、飲みに行くようないい加減なX郎君の生活は、ご存じなはずですし、その点は躾けていません。
このお父さんは、勤勉な生活態度より、事実に即した言動を取ることが大切だとご存じです。
事実に即した言動を取らないと失敗するのは、なぜでしょうか。
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