浅香光代さんが昨日亡くなったとのニュースがありました。
92歳だったとの事です。
浅香さんが有名になったのは、
故野村沙知代さんとの所謂「ミッチー・サッチー騒動」かも知れませんが、
僕は興味がなかったので、この騒動はよく分かりません。
訃報では、女剣劇との言葉が出ていました。
僕は小さい頃この女剣劇を観ていました。
宇都宮市で育った僕が舞台を見た訳ではありません。
当然、テレビで観ていた訳です。
我が家にテレビが入ったのは、1959年(昭和34年)でしたが、
その頃は、舞台中継の番組が多かったと思います。
大宮伝助の芝居や新国劇なども観ていたように覚えています。
そんな中で、女剣劇も観ていた訳で、
決して小さい頃からませていた訳ではありません。
当時観ていた覚えがあるのが、大江美智子(2代)です。
浅香光代さんの舞台を見たような気もするのですが、ハッキリとは覚えていません。
大正末期から昭和へかけて全国的に剣劇が流行しましたが、
これに目をつけた九州の興行師保良浅之助が、
当時映画女優の大江美智子(初代)に剣を握らせ、
1932年(昭和7年)神戸の湊座に出演させたのが、女剣劇の最初との事です。
第二次世界大戦前から戦中にかけて、多くの女優が活躍したようです。
戦後は浅香光代さん、中野弘子らが台頭し、
戦前からの不二洋子や大江美智子らと共に、
東京の浅草を中心に覇を競ったとの事です。
女剣劇は、弱いとされている女性が主演して、
女装あるいは男装して剣をふるって多くの男性を斬り倒します。
当初猟奇的な目でみられていた女剣劇もしだいに内容が充実し、
社会問題を扱ったものや文芸作品も手がけ、
芸術祭にも参加し受賞するなど地位も向上しました。
しかし、浅草興行街の衰退とともに退潮し、
大江、浅香さんとも1970年(昭和45年)に一座を解散したとの事です。
浅香光代さんの事を調べていたら、
内縁の夫としてコメディアンの世志凡太さんの名前がありました。
昔、クレージーキャッツなどと共演したりしていました。
その後余り姿を見ないと思っていましたが、
音楽プロデューサーや作詞、作曲で活躍されているのを知りました。
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