ぼくらの街だったシモキタ。
「ぼくら」と書いて、手を止めました。「われら」でも「ぼくたち」でも同じことですが、ここで指しているのは、特定のぼくらでもあります。
ただ、それはあまりにも大切な思い出なので、日記には書きたくありません。
また、べつの特定のぼくらでもあります。
たとえば、女性誌で活躍した写真家のYが大学生時代に住んだアパートがそこにあり、何度も訪ねた、悪友のZが女性と住んでいたなど。
しかし、いうまでもなく、×年代に××大学に通った「ぼくら」に回収されることを好みません。ぼくらは、本質的に、×年代の若者でも、××大学の学生でもなかった、そういう言葉に回収され要約されるべき存在ではなかったはずだから。
強いていえば、フランス語にonという言い方があります。
奇妙な代名詞であり、Iの代わりにもweの代わりにも、theyにも、なります。しかし、同時に、誰かが、人は…という用法もあるようです。
それがしっくりきます。
すなわち、
SHIMOKITA notre amour
ではなく、
On aimait SHIMOKITA.
小田急の記録によると、
地下に駅を移動させ、踏切をなくしてから、乗降客は眼に見えて減っているようです。
あの迷路のような街の結構がなくなり、独特の闇市の後継としての街のたたずまいが脱色されつつあります。
店はというと、アクセサリー店も古着屋も実態はセレクトショップです。一時は、チベット衣装専門店というものもありました。
飲食店は、マザーズのような無国籍料理、あるいはTのような技術水準が高い超正統派のカフェバー。
つまり、元サラリーマンの大卒の店主が自分の趣味で始めたような店です。後継ぎがいません。たとえ、店が儲かっていて、店主の息子がサラリーマンを嫌っても父親と全く同じ趣味にはなりたくないでしょうし、趣味の人脈というものは、商売のお得意とは違って引き継げません。
趣味は、足の引っ張り合いが割合とない世界です。少なくとも、他人の失敗が自分の利得になったり、手柄の横取りが横行する世界ではないはずだからです。
どうも、その趣味の世界が衰弱したと思うのですが、どうでしょう。昔、あちこちにあった、若者が出入りする無償のサロンのようなものは聞かなくなりました。
当時、この街で交差した懐かしい友人たちは、全員、この街には住んでいません。便利なところなのに、就職などをしてから続いて住むという発想がないのは、青春期の思い出をどこかに封印したいという心理かもしれません。
店もTは健在ですが、その他の知っている店は半分以上姿を消しています。それらの店の多くは、学生街の定食屋と違います。
スーツを着て、「親父さん、お久しぶり。出張で東京に来たから。」「オオッ 田中君じゃない。立派になったね。元気?」…というわけにはいかないからです。当時に戻るか、とんがった不良中年になって行くしかないからです。
だから、乗降客が少なくなったといえ、まだまだ殷賑を誇る、若者の街シモキタは、自分にとって廃墟も同じです。
しかし、それが詩情
というよりも、川底から発掘された石板に刻まれた古代文字のような、典範的な章句に似たものを感じさせます。
終り、すなわち、始まり…
あるいは、復活。
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