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2019年10月17日18:21

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靖国神社参拝・・・

 衛藤晟一、一億総活躍担当、領土問題担当、内閣府特命担当大臣が、
 今日の午前中、今日から始まった秋季例大祭にあわせ、
 靖国神社を参拝したと報じられています。
 閣僚が、春と秋の例大祭や8月15日の「終戦の日」に合わせて同社を参拝するのは、
 2017年4月の高市早苗総務大臣(当時)以来、2年半ぶりとの事です。

 このニュースを見た時、衛藤さんを初入閣させたのは、
 このためだったのかと思いました。
 衛藤さんは、ご存知の方も多いと思いますが、
 安倍総理が特別顧問を務め、憲法改正などをめざしている
 日本会議国会議員懇談会の中心的なメンバーと言われています。
 衛藤さんの事を調べていたら、
 2016年9月2日号の週刊ポストの記事がありました。
 日本会議の生みの親と言われている村上正邦さんが述べています。
 「もし安倍さんが日本会議の言い分を尊重しようとしているなら、
  衛藤晟一(当時総理補佐官)を大臣にしているはずですよ。
  だけど、入閣させてないということは、そういうことですよ。
  日本会議の象徴は、稲田(朋美・防衛大臣)じゃない。
  稲田だとみんな言うが、衛藤ですよ。」

 中国や韓国などからの批判があるため、
 現職閣僚の靖国神社参拝が難しくなっている情勢を打開しようと、
 衛藤さんを起用したのではないかと思った次第です。
 あるいは、安倍総理の支持母体の1つである日本会議に報いるために、
 その「象徴」とされる衛藤さんを閣僚に起用し、
 この起用に衛藤さんが応えたのかも知れませんが。
 2013年12月26日に安倍総理が靖国神社を参拝した事に対し、
 アメリカ政府が「失望」を表明したことについて、
 衛藤さんは、「我々の方が失望した」と批判して、
 後に、菅義偉官房長官からの指示により取り消しています。

 靖国神社は、今の名称になったのは、1879年(明治12年)の事で、
 それまでは、1869年(明治2年)創建された東京招魂社でした。
 そしてその招魂社の原型は、長州で始まったもので、招魂場と呼ばれていました。
 最初に作られたのは、
 奇兵隊が、慶応元年(1865年)5月、
 下関郊外桜山(現下関市上新地町)に完成させた招魂場です。
 同年7月、長州藩は藩内各郡にひとしく招魂場を設けるよう命じ、費用も支給しました。
 東京招魂社は、戊辰戦争で戦死した人の慰霊の場として設けられました。
 その事情は分からないのですが、
 祀る人の基準を1853年(嘉永6年)のペリー来航まで遡ります。
 このため、
 吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎等も
 維新殉難者として合祀されています。
 この7名の内に戦死した人はいません。
 刑死したり暗殺されたりした人ですが、高杉晋作は病死です。
 これに対して、戊辰戦争での旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、
 新選組や彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていません。
 ただし、禁門の変で長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、
 朝廷を守護したとして祀られていますが、
 禁門の変では賊軍だった長州藩士久坂玄瑞なども合祀されています。
 僕は、発端からして、長州藩の都合の良いように作られた神社だったと思っています。
 安倍総理も山口県の出身ですから、靖国神社への思い入れは強いのかも知れませんが。


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