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2019年07月02日09:21

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血縁は薄い縁。もっと深いものがあります。

厚木現役舘の近くで、ご先祖様の領地を見ようと思い、止めたという話は、
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1972052513&owner_id=12410478
の前半に書きました。
やはり、先祖も、学歴や職歴、業績ですら、自分とは無関係のものです。
途中下車しようかな…とチラッと思ったのは、父が司法書士をよんで、遺言書を作ったのが気になったからです。

本間氏は、鎌倉の御家人でした。武蔵國に所領があり、本間資忠が下手な辞世の句を詠み、楠木正成軍に突撃して戦死したのはいいでしょう。
建武の新政では、足利方につき、佐渡守護の地位(守護代と言われますが守護らしいです)を得るといううまい世渡りをして、上杉景勝の侵攻を受けて、近世以降、出羽、越後、陸奥などに分散しました。誇るべき先祖とは思えません。

資忠の辞世は、戦死した父親に向けてのものです。
「待てしばし 子を思ふ闇に 迷ふらん 六の街の 道しるべせん」
(暫く待ってください。父上は今ごろ子を思う闇に迷っていることでしょう。私が六道のご案内を致しましょう)

というものですが、『太平記』所収ですから、それなりに知られ、
大谷吉継が、関ヶ原の戦いで自刃するときに詠んだ、
「契りあらば六の巷で待てしばし。遅れ先立つことはありとも」
(もしもお主が「死ぬときは一緒だ」という契りを反故にしていないなら、閻魔大王の裁きがあるという、六の巷で待ってくれ。しばらくでいい。遅れたり先に行ったりして、合わずじまいになることもあるだろうが)
の元歌になっています。
戦乱の世だから、お主が約束を反故にしても構わない。しかし、わしはお主を待つ。
という立派なものです。

文化というものはそういうものでしょう。
駄作であっても傑作を生む下地になる、他人に伝わるものでしょう。そうやって、業は輪廻します。いい意味の業であっても。

先祖よりも、同じ学校の先輩後輩の方が気になります。

殺人事件を犯した山形大生は、私の高校の後輩でした。
(ちなみに、記事中の「県下随一の進学校」というのは、誇張です。随一は、新潟高校です。)

被害者さまには申し訳ありませんが、立ち直ってほしいと思います。
重く罰せられても、取返しがつきません。むしろ、更生することが手向けになり、社会のよい展開に貢献すると思います。
この事件は、死刑はないとしても、金銭や乱暴目的、カミュ『異邦人』のような理由のない殺人ということになると、無期もあり得ます。
ここが、正念場。弁護士と良く打ち合わせてほしいと思います。

被害者さまのご冥福を心からお祈り申し上げます。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190701-00012566-bunshun-soci

「中学時代の彼はクールぶってプライドが高く、近づき難い部分がありましたけど、本当はピュアな“恋する少年”だったんですよ」(中学時代の同級生)

 全国の市町村でさくらんぼ生産量第一位を誇る山形県東根市。収穫期の真っ只中である今年5月19日、同市の眼科医・矢口智恵美さん(50)が自宅マンションで頭部を殴られ、殺害された。山形県警は6月12日、殺人と住居侵入の疑いで山形大学4年の加藤紘貴(23)を逮捕した。

「携帯電話の通話履歴などからも2人の接点は見つかっていません。また犯行直前に別のマンションを物色していることからも矢口さんを狙ったものではないと見られる。加藤は『覚えていない』と容疑を否認しており、動機の解明には至っていません」(社会部記者)

高校時代に挫折。「医者には絶対なりたくない」と宣言
 そして11年4月、加藤は県内随一の進学校である県立長岡高校に入学。医学部に毎年多数の合格者を輩出する理数科に籍を置いたが、その後、挫折を味わったという。2年生で文系に転籍し、周囲に「医者には絶対なりたくない」と宣言。そのまま高校中退の道を選んだのだ。

「中退の理由は、同級生からのいじめでした。さらに両親と進路で揉め、担任の先生とも折り合いが付かなかったと聞きました。その後、彼は地元に寄り付かなくなり、クラスの同窓会にも顔を出さなくなった。幹事が誘っても『行きたくない』と完全拒否。そこから地元とは縁を切ったままでした」(別の同級生)

 通信制高校を経て、山形大学人文学部に入学したのは15年4月のこと。15〜18世紀の中国近世社会史について学んでおり、小説家志望者が集まる文芸部に所属した。

 担当教授は「真面目な学生だったし、トラブルはなかった」と口を噤(つぐ)むが、加藤は昨年10月から今年3月まで「一身上の都合」で休学していたという。

「(犯行翌日の)5月20日も普通に授業に出ていました。最後に授業に出席したのは(逮捕2日前の)今月10日のことでした」(山形大学の広報担当者)

 自らの手で殺めたのは、皮肉にもかつて自身が憧れた医師だった。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年6月27日号

独身の資産家として知られた矢口さん
 東京で4人きょうだいの家庭に生まれた矢口さんは日本医科大を卒業後、複数の病院勤務を経験。眼科クリニックを開業したのは07年のことだった。

「以前、東根市の公立病院で数年間の勤務経験があり、『風光明媚な土地柄に惹かれて引っ越してきた』と話していました。またこの地域は県内で唯一人口が増加している新興エリア。患者の需要も高く、将来性を見越して開業したのでしょう」(矢口さんの知人)

 独身の資産家として知られた矢口さんは、東京・板橋区に投資マンションを所有している他、株取引など資産運用に熱心だった。
女医の命を奪った青年の正体とは?
「先生が最後に店にやってきたのは事件の10日前。6月2日のさくらんぼマラソン大会に出場するといい、その日は猫ひろしさんのマラソンコーチを招き、“決起集会”を開いていました」(市内の居酒屋店員)

 何の罪もない女医の命を奪った加藤とは、どのような経歴の持ち主なのか。95年、加藤は新潟大学医学部を卒業した脳神経外科医である父と専業主婦の母との間に生まれた。小学校から高校までを過ごした新潟県長岡市内のマンションの住民が振り返る。

「加藤さんの一家が引っ越してきたのは、息子さんが小学校4年生くらいのとき。お母さんは音楽会に参加したり、近所の小学校で読み聞かせをやっていました。あるとき(山菜の)こごみを渡してあげたところ、お返しに『うちの主人、お酒飲まないから』って、高いウィスキーの瓶を持ってきてくれてね」

 前出の同級生が語る。

「加藤くんは自分から話しかけるタイプではないけど、話しかけたら笑顔で応じてくれる ので“紳士加藤”というあだ名で呼ばれていた。教室では一人で本を読んでいることが多く、ヤンチャな連中が騒ぐと、露骨にむっとした表情をすることもあった。成績はクラスのトップで『父親のような医者になりたい』と語っていましたね。卓球部のエースで県大会に出場するほどの腕前でした」

 10年3月、中学2年の終わりを迎えた加藤は、修学旅行で大阪・京都を訪れた。

「その日、僕は彼と同じ部屋に宿泊したのですが、夜寝ようとすると『ちょっと話あるんだけど』って恋バナを始めるんです。当時、彼は同じクラスの子が好きだったんです」(同前)

 中学3年時の文集で書き綴ったのは〈国立大医学部にストレートで入りたい〉という長年思い描いていた夢だった。


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