既に、御承知の通り、
去る9日、財務省は、千円、5千円、1万円の紙幣を
2024年度上半期に一新すると発表しました。
新紙幣の表の図柄は
1万円札が渋沢栄一、5千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎になるとの事です。
紙幣の肖像に、経済人が選ばれたのは、多分初めての事だと思います。
人間誰しも毀誉褒貶は付きものですが、
敢えて企業家を選んだ理由を知りたい気がします。
渋沢栄一は、日本を代表する経済人であり、また初代紙幣頭(後の印刷局長)として
紙幣の肖像の候補者として何度も選ばれ、
日本銀行券C千円券(1963年11月1日発行開始)では
肖像候補として最終選考にまで残りましたが、採用されませんでした。
この時は伊藤博文が選ばれています。
この時の理由を知りたいと思いますが、よく分かりません。
1902年から1904年にかけて大韓帝国で発行された初期の第一銀行券の
1円、5円、10円券には当時の経営者だった渋沢の肖像が描かれていました。
このため、新札の発表があるとすぐに、韓国のマスコミは一斉に批判しています。
聯合ニュースは
「日帝の利権侵奪のために朝鮮半島で紙幣発行を主導し、
自ら紙幣の肖像で登場して恥辱を抱かせた」などと述べています。
こうした事実を知らないで選んだとは思えませんが、
知っていて敢えて選んだとすると、
韓国への嫌がらせのような気がしないでもありません。
東京都北区の飛鳥山公園に、渋沢栄一に関する資料館があります。
昨年の3月28日、皇居の乾通りの通り抜けに行った帰りに飛鳥山に行き、
さらに資料館にも寄って来ました。
展示室のある本館のほか、
大正期に建てられた晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫を公開しています。
晩香廬は渋沢栄一の喜寿を記念して清水組から贈られた木造の洋風茶室です。
様々な建築様式を取り混ぜ趣向を凝らした小建築で、賓客の接待に用いられました。
1917年(大正6年)に竣工した、延床面積72�屬侶�物です。
設計は田辺淳吉、施工は合資会社清水組で、国の重要文化財になっています。
青淵文庫は、渋沢栄一の傘寿と子爵昇爵を祝って、
門下生が結成した竜門社会員から贈られた、鉄筋コンクリート造2階建ての書庫です。
1925年(大正14年)に竣工しています。
「青淵」は渋沢栄一の号で、こちらも国の重要文化財になっています。
それぞれ意匠を凝らした素晴らしい建物で、
重要文化財になるのも分かるような気がしますが、
経費はかなりかかったような気もします。
渋沢には、このような建物を贈られるだけの人望があったと言えるかも知れません。
一方で、渋沢は社会活動にも熱心に取り組んでいましたが、
本当に熱心ならば、建物を受け取らずに、
その経費を困った人に配るのではないかとの思いもあります。
まぁそれぞれの見方ではありますが。
渋沢資料館については、下記に写真などがありますので、宜しければご覧下さい。
https://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/66641356.html
渋沢栄一の孫で、後を継いだのが渋沢敬三です。
日銀の総裁や大蔵大臣などを務めた実業家ですが、
一方で民俗学者としても知られ、
宮本常一、今西錦司、江上波夫、中根千枝、梅棹忠夫、網野善彦などを育て、
支援して来ました。
日本の民俗学の基礎を作ったのは、渋沢家の資産であったとも言えるかと思っています。
明日と明後日、それぞれ所用があって帰りが遅くなる予定なので、
日記などは休ませて頂きます。
お含みおき下さい。
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