今日は那珂川町にある馬頭広重美術館に行って来ました。
7月14日から「広重没後160年記念 大広重展 −肉筆浮世絵と錦絵の世界−」が
開催されています。
いつか行こうと思っている内に、日が経ってしまい、
今月24日の会期末が近くなってしまいました。
土曜日からの3連休は、予定がありますし、明日は天候が悪いようです。
そんな事から、今日行って来ました。
何度も行っているし、天気も良くないからと思いカメラを持って行きませんでしたが、
美術館の裏山にも、途中の田圃沿いにも綺麗に彼岸花が咲いていました。
田園風景の中のドライブも気分が良かったです。
馬頭広重美術館は、2000年(平成12年)に開館した美術館で、
1870年(明治2年)熟田村狭間田(現さくら市)に生まれ、
戦前、大田原市の佐久山町で肥料商を営んでいた青木藤作のコレクションを、
子孫の方が旧馬頭町に寄付したことから建設されたものです。
設計は、今を時めくと言っても良い建築家の隈研吾さんです。
この美術館と同じころ、隈さんは、
作新学院大学、那須歴史探訪館、那須町の石の美術館を設計しています。
何か縁があったのでしょうか?
来月には、隈さんが講演に来られるとのチラシもありました。
美術館の写真などは下記をご覧下さい。
https://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/63617235.html
さて、その展覧会ですが、
広重の別のシリーズである「不二三十六景」、「富士三十六景」から何点か出ていましたし、
有名な「東海道五十三次」には、「保永堂版」、「行書版」、「隷書版」があり、
それぞれのシリーズから何点か出ていました。
帰宅後、調べてみたら、
ウィキペディアに3つのシリーズが宿場ごとに対比出来るように出ていました。
面白いですから、宜しければご覧下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1_(%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5)
木曽街道六十九次は、渓斎英泉との合作で、それぞれの作品が1点ずつ出ていましたが、
二人の作風の違いが分かりました。
江戸名所図会からも何点か出ていて、亀戸天神の境内は変わらないなぁとか、
大伝馬町は江戸時代から繊維の町だったのかなどと、色々面白かったです。
また、肉筆浮世絵も何点か出ていて良かったです。
一番面白いと思ったのが、広重と北斎の関係です。
「富士見百図」が出ていて、その前書きにあった北斎への批判が書いてありました。
ネットで調べていたら、原文があったので、コピーしました。
「(葛飾の卍翁)は、絵組のおもしろきを専らとし、不二は其あしらひにいたるもの多し。
此図は、夫(それ)と異にして、
予がまのあたりに眺望せしを其儘(まま)にうつし置(おき)たる草稿を清書せしのみ。」
要するに、北斎の富士山は、構図の面白さに重きを置き、
主役の富士山でさえ添えものにしていると、批判し、
自分の絵は、実景を忠実に描写していると記しています。
二人は、北斎が35歳年上ですが、同時代の絵師です。
ライバル同士だったような感じもします。
北斎の「神奈川沖浪裏」とよく似た「駿河薩夕之の海上」も出ていました。
北斎が表現したかぎ爪のような波頭はそっくりですが、
この2作品では、北斎の方が上だと思いました。
最近、北斎の「尾州不二見原」を
広重が模写した浮世絵がアメリカで発見されたとの事です。
広重は北斎を尊敬していた面もあるのかも知れません。
ともかく、色々面白い美術展でした。
美術館から、少し離れた場所の蕎麦屋「ゆりがねのやな」に行きました。
地元の農家の小母さん達が営業している蕎麦屋で、何度か行っています。
「やな」と名前がついていますし、川のそばにありますが、
鮎はないそうで、その旨店先に張り紙がありました。
蕎麦を待っていると4・5人の高齢者のグループが来ました。
座敷に上がって、奥に座るか手前に座るか、女性が訊いたら、
一番の高齢らしい小父さんが、歩くのが大変だから手前が良いと言っていました。
その会話を聞いていた、給仕担当の小母さんが、
「わたしも遠くまで運ばなくて済むから、手前が良い。」と大声で独り言を言いました。
それを聞いて、僕も噴出してしまいました^^
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