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2018年07月01日12:01

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「親友」について。孟子の伯夷評は、深い。

若いころに考えたことがあります。
お互いを親友だと考えていて、客観的にも親友である人は何人もいます。しかし私が出した結論は、「親友などという格付けは全く無意味である」ということです。

おとなだなあと思うのは、漢文の世界です。
格付け、つまり強弱ではなく、分類です。
しかも、ほぼ、仕事がらみであるところが、また、なるほどと思わせます。

「刎頸の友」これは、あいつを救うために首を斬られていいという『走れメロス』のような友人関係ではなく、あいつと並んで首を斬られるなら納得するという友人関係です。
「管鮑の交」は、敵味方を超えて相手を認め合っている交際。
「断金の交」は、読んで字のごとし。
「伯夷叔斉」は、兄弟ですが、窮死するほどの潔癖な価値観を共有することです。

現代ですからさすがに四条河原で首を斬られることはありませんが、あいつと一緒に解雇されるなら名誉だという人はいます。

そう考えると、「刎頸の友」と「管鮑の交」は同じではないかと思われますが、違います。

「管鮑の交」は、駿台さんに行った定期的に飲む友達A氏を連想しますが、自分が愛着を持つ狭い世界で認めることと違うと思います。もっと広い評価です。
関が原で西軍についた大名であっても、島津義弘、立花宗茂のように、「天晴れ」という理由で本領を安堵された人がいますが、そういう感覚に近いでしょう。

事件を起こしはしませんが、A氏の事件に巻き込まれて自分もクビになるのは避けたいところですが、Aならどこにも推薦できる、Aこそどこにだしても恥ずかしくない人物だと思います。

「断金の交」は、ぼくは金がないのでやれません。しかし、生活費は到底出せませんが、互いのうち、お金を持っている方がご馳走する、しかも、ありがとうともいわない…という交際はあります。

世間には、太っ腹の社長が、リストラされた同級生を雇い、申し訳程度の仕事をさせて捨扶持をあてがうような会社があると聞きますが、これは理解できます。その場合、相手に対する情であり、評価ではないでしょう。

伯夷叔斉について、孟子は、「伯夷、非其君不事、非其友不友。不立於悪人之朝、不与悪人言。」
〈伯夷は、これはという君主でなければ仕えなかったし、これはという友でなければ友としなかった。悪人の朝廷には立たなかったし、悪人の言葉には賛成しなかった。〉
とし、最終的には「隘」(心が狭い)としています。

さすがは、孟子です。
相手との関係に、自分の世界観や器量がでるということですね。



■「親友がいない」34%…“親友”の定義ってなんだと思いますか?
(TOKYO FM + - 06月30日 11:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=5179249
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