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2018年04月21日07:58

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岡山探訪 第315回 備中福山城址

今月は山城散策に最適の季節です。
寒さも無く暑くも無い。
やぶ蚊に刺される事もない。
また、雑草も少ないので歩きやすい。

さて、倉敷の「安養寺」宝塔見学を終えて、裏山に「福山城跡」の案内看板を発見。
ここは国史跡に登録されている岡山県(備中)の福山城です。
連郭式山城で建武2年(1335年)に備中の豪族荘常陸兼祐が福山寺を利用して築城していた。
さっそく登城してみよう。

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辺りは高くそびえた山林に囲まれ、ほぼ直線に山路が続く。

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「安養寺裏山経塚群の第三経塚跡」
この経塚群はお寺の背後の山腹に存在し、第1から第3経塚まである。
経塚とは平安時代の末法思想の影響により、土中に経文の刻まれた瓦を埋めて後世に遺すという善行で極楽往生しようという願いから設置されたもの。
第1経塚からは国の重要文化財に指定された経瓦(きょうがわら)、土製塔婆型法華経題箋(どせいとうばがたほっけきょうだいせん)、土製宝塔(どせいほうとう)が出土。
また、第2経塚からは瓦製経筒・誕生仏、第3経塚から塔婆形経瓦がそれぞれ見つかっている。
尚、第3経塚から出土した願文(瓦)には応徳3年(1086年)と記されている事から、平安時代後期の経塚と推定される。

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↑(TOP画像)
しばらく山道を5分程登ると今まで山林だったのが嘘のように広い空間に出る。
ここで桃が栽培されており、まだ4月上旬頃だったので桃の花が綺麗だった。
目指す福山が遠方に確認出来る。

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まだ山道が続くが、15分程登ると頂上付近に到着。

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「延元元年古戦場福山城址」の石碑
福山合戦とは・・
南北朝時代、『太平記』に記された福山合戦の舞台となる。
建武3年(延元元年、1336年)2月、九州に敗走していた足利尊氏が30万人とも言われる軍勢を擁し、陸路と海路に別れて東上を開始。
4月、後醍醐天皇方の新田義貞軍の先鋒隊大井田氏経は足利方に加担していた城主の荘兼祐を追い落し、足利軍の東上を阻止すべく籠城。
足利軍は5月に備中国に達し、この地の城を包囲。
直義の率いる足利軍20万人に対し、大井田軍は僅か1,500人であったとされる。
5月15日夕刻より攻城戦が始まる。
籠城軍はよく奮戦し、足利軍は2万の死傷者を出す。
しかし、大軍を前には抗しきれず17日には火をかけられ落城。
氏経は僅かに400人ばかりとなった将兵と共に足利軍の布陣を突破して本陣のある備前国三石城に逃れたと言う。

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土塁跡の基礎部列石

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「二の壇」

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福山城跡「山頂案内図」
城は三の壇・二の壇・一の壇に分かれ、頂上の城跡には、土塁跡、空堀跡、門の跡の石積みが残る。

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平安時代から山上仏教(山岳寺院)の「福山寺跡」
開山は不明だが、報恩大師の建立と言われている。

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門跡の基礎部列石
ここから「一の壇」になる。

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土塁跡の基礎部列石

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「井戸跡」

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山頂から味わえる景色
中央に倉敷マスカット球場が確認出来る。

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ところで、後で分かったが、福山城址への登城コースは今回の“浅原コース”と清音村の「歴史広場」から登る“直登コース”がある。
山頂まで高さ300mの山を「安養寺」から1.4kmを歩くなだらかなコースが“浅原コース”
また、「歴史広場」から700mの整備された“直登コース”なら近いが、急斜面になる。
どちらが正解だったのだろう?

どうやらここでは倉敷・総社・岡山市民の身近なハイキングスポットとして複数の登山道が整備されているようだ。
家族でも楽しめるピクニックエリアとして多くの登山愛好家で賑わっていると言う。
やはり、表参道コースとなるのは北側山麓に整備された「清音ふるさとふれあい広場」から登る登山コースのようだ。
機会があれば、今度は清音から再挑戦してみたい。

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