「感謝」とは、誰に対するものでしょう。
天皇や国土なら、その当否はともかくも、まだしも理解はできる…というものですが、そういう抽象的な主体には、我々の気持ちは届きません。天皇相手なら、象徴天皇制を逸脱します。
また、感謝とは、過分な行為をしてくれた相手に対するものです。
寿司屋に入り、ランチの丼を食う。既定の金を払う。客である我々は、寿司屋に感謝しません。「ご馳走さま」といいますが、儀礼的なものです。
感謝する場合はどういう場合かというと、この前、「赤身が切れました。だから、トロを入れておきます」と言われましたが、そういう場合です。汁とお新香がついて、800円というランチの丼に過分な大トロが入っていた。そのことに対するものが「感謝」です。
親子喧嘩ですら、「産んでくれと頼んだ覚えはない」というセリフが出ます。
一体、誰に感謝しろというのでしょう。
「感謝」を、経営者や首長、さらには天皇などに向けようとするどす黒い陰謀です。
逆に、上を「感謝」まではいかなくても、尊重しようという気持ちがあるからこそ、ブラック企業がはびこっています。
「愛国心」は、それを強制するのは、憲法違反です。
どんな国にも、祖国が嫌いだ…という人がいます。
配偶者を愛するということが、義務でも何でもないように、国を愛する義務があるとは思えません。
しかも、大衆はバカです。
いかにバカかというと、こういうことを書くと、
「半島に帰れ」などというバカな書き込みがあることをみれば、すぐわかるでしょう。
小中学校は、万人を相手にするものですから、「愛国心」という刷り込みは、悪い意味での右翼的な心情を煽るだけです。優越欲、自己肯定欲、異質な他者への攻撃欲などです。
「発展」もよくありません。
特に経済発展は、時代遅れ。
そして、
道徳とは、教えられるものではなく、自主的に悟っていくものだということは、改めていうまでもありません。
■道徳「愛国心」など自己評価 専門家から疑問の声も
(朝日新聞デジタル - 03月28日 02:33)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5045471
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