「今治城」見学の3回目。
藤堂高虎の築城技術は櫓の配置を見るとその真価がよく分かります。
天守から見下ろした城郭風景と併せて復元された各所の櫓を紹介しよう。
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「今治城案内看板」
城は海岸の砂の上に築かれ、海水を引いた広大な水掘で防御している。
また、内曲輪の外周に二重櫓や多聞櫓で武装され、主要な入口に枡形を設け、外側に高麗門、内側に櫓門を建て、これがひとつの城門となる。
枡形は櫓と多聞櫓を三方に囲んでおり、これでは虎口突破は不可能であろう。
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「北側の内堀風景」
瀬戸内海に面した今治港から海水が内掘に流れる“海水導入口”(赤矢印)の位置がよく分かる。
ちなみに、この今治港はかつて軍船をつないでいた船入(ふないり)になる。
また、遠方に“しまなみ海道”の来島海峡大橋が見える。
それではまず北側の大手口から見てみよう。
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「鉄御門」(くろがねごもん)
2007年、今治城築城400年を記念して史実に基づき忠実に復元。
「三の丸」の正門で鉄板の扉が名前の由来。
↑(TOP左画像)
「鉄御門」枡形
枡形の3方向を櫓門と多聞櫓で取り囲み敵を迎撃する極めて厳重な防御配置である。
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「勘兵衛石」(かんべえいし)
城主の権威を示す鏡石です。
約2.4m×4.6m、重さ16.5トン
大手枡形内の入口正面に組み込まれている。
名称は築城奉行の渡辺勘兵衛にちなんだもの。
↑(TOP中画像)
「武具櫓」
「武具櫓」は「鉄御門」の枡形から「多聞櫓」で繫がっており、北の隅櫓になる。
外側には半間窓の他に鉄砲狭間が設けられている。
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「武具櫓」の内部
当時の木造建築を可能な限り再現しており、屋根裏の精巧な小屋組が見学出来る。
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「三の丸」から見る「多聞櫓」
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天守より見下ろす「鉄御門」枡形と「武具櫓」
上から見ると形がよく分かる。
・TOP右画像
「藤堂高虎銅像」
藤堂高虎は今治城の築城を慶長13年(1608年)に終えたと言われるが、同年すぐに伊勢・伊賀に国替えとなってしまう。
高虎は他にも宇和島城、丹波篠山城、伊賀上野等、多くの城を手掛けている。
つづく
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