モノとは何か(サービスも含めて)を、当時、考えました。
やっぱり、モノは、記号です。
だから、
遍通性(自分の属しているユニットを超えて、他にも波及する力)と
延長自我性(自分の個別性、属しているユニットの性質を語る力)が必要です。
乗り心地とカッコよさ、スポーツ性が保証されれば、車はそれでよさそうですが
GTOの難点は、乗り手にとっての性能とは無関係なところで。
重い
(何もドライバーが車を担いで運ぶわけではないが、記号として、技術の後進性を感じさせる)
ダミーの冷却孔がある
(偽物性を感じさせる)
この二つでしょうか。魅力を感じないどころか、お乗りになった方には、失礼ですが、乘ったら恥ずかしい車だとと思いました。
私の周りには、「遅れているカッコだけの人が乘る」とあからさまに言う人もいました。
かといって、スバル アルシオーネが売れたかというと、それは違います。
カタログスペックなどにアッピール力が乏しく、自分とは違う趣味や価値観の人が注目しないからでしょう。
コンセプトが、上品すぎるものは、売れません。
結局、
GTOよりも、FTO、ランエボといった車が、魅力的でした。
しかし、
当時これを買った人は、上場企業社員などではなかったと思います。
バブル期は、
普通の人が、普通に贅沢を楽しめました。
景気がよかったのもそうですが、
ボディコンやお立ち台ではないですが、
<本音で生きられた時代>
だと思います。
だから、
車で言うと、
シーマや、スープラ、そして、GTOや、
ピアッツァが自然と思い出されます。
■【昭和クルマ列伝】バブルが生んだ超絶スポーツカー「GTO」 ランエボにつなぐハイテク魂
(産経新聞 - 07月08日 09:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=4658069
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