1960年代ってどんな時代? 窓枠が木製からサッシに変わった
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4552069
東京五輪が開催され、東海道本線の特急「こだま」「つばめ」「はと」に代わって東海道新幹線(東京ー新大阪)が開通し「夢の超特急ひかり」の運転が開始され、首都高速道路や名神高速が開通して日本も高速道路の時代が始まり、テレビが白黒からカラーになり……、と、日本国内で考えれば記事も言うように生活の様々な要素で急速な近代化が進んだ時代だったと言うのが、1960年代だと思いますね。私もそうでしたが、東京五輪で世界の国名や国旗を覚えるきっかけになったイベントにもなりましたし、日本の国際化が急速に高まり、日本人の意識も変わったのではないかと思います。日本で海外からの衛星生中継が始まったのが1963年でしたが、その中継でJohn F. Kennedy暗殺を目の当たりにさせられたり、The Beatlesが人気絶頂で世界の音楽界の“風雲児”になったり(先日、Paul McCartneyさんが来日しましたね)、日本から日本語の曲として初めて「SUKIYAKI」(「上を向いて歩こう」)が全米Billboard第一位となったり、と、そのきっかけになった出来事はずいぶん多かったのではと思います。
「窓枠が木製から金属サッシに変わった」と記事は書きますが、我が家の場合、私の小学校入学を機に引っ越した新築の家が「父の強いこだわり」により窓や戸のすべてを木製にしていたので、当時の同級生の家などのアルミサッシに“憧れ”を抱いていたほどでしたが、その頃の建物で木製の窓を使っていた家や建造物は結構あったと記憶します。新しい技術などが相次いで世に広がった一方、その導入に慎重だったところも案外あった時代でもありましたね。
公共交通とかでも大きな流れがあり、通勤電車では吊り掛け式の猛々しいサウンドのモーターを装備した木製の内張りの電車に代わって、オール金属製の軽量で高性能のモーターを装備した電車が国鉄(私鉄より遅かった)でも本格的に導入されたのがこの時代で、山手線が1961年、京浜東北線が1965年に投入開始、路線バスのワンマン化が始まったのもその頃でした。当時は、バスの前面に「ワンマンカー 無車掌バス」と表示された行灯を表示しており、まだ少数派でした。
また、ロングシートの通勤電車に初めて冷房が搭載されたのが1968年、京王線の5000系電車でした。私は元々は東武東上線の沿線に住んでおり、まだまだ73・78系電車が幅を利かせていましたが、ステンレス製で正面のカラーが7通りある井の頭線の3000系を見て、全く違う次元の電車が走っていると感じたものでしたね。そう言えば、東急田園都市線の溝の口と長津田の間が開通したのが1966年、「笑点」と同い年でもありますね。翌年に阪急千里線の南千里ー北千里が開通、初めて自動改札機かお目見えしたのがここでした。つまり、今年は自動改札機50周年ですね。
一方、この時代は地下鉄の開通(東京では都営浅草線、日比谷線、東西線に続き、都営三田線、千代田線の一部)もありましたが、大都市から路面電車が急速に姿を消した時代でもありましたね。所謂「モータリゼーション」で道路の渋滞が深刻化したことが主な理由で、銀座通りを走る東京都電が廃止されたのが1967年で、1969年には大阪市電が全廃となり、1971年には神戸市電が、1972年には横浜市電と荒川線以外の東京都電、さらに1974年に名古屋市電が全廃となりました。銀座通りの都電廃止の日に、母に連れられ日本橋あたりから乗った記憶がありますが、都電が無くなって、どこか無味乾燥な町並みになった印象がありました。
戦後、人々の生活の近代化のうねりが本格的に感じられた最初の時代が、1960年代ではないかと思います。
ログインしてコメントを確認・投稿する