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2017年04月28日23:22

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公案としての「夢應の鯉魚」 下

3 結語 ヴィジョンの真相
紙繭の鯉が琵琶湖に泳ぐかのようにみえるラストシーンの他に、「夢應の鯉魚」が、怪談めいて見えるもう一つの理由は、鯉となった興義が、平の助の館の様子をつぶさに見たことである。
このヴィジョンを、放生の功徳などに短絡させるのではなく、本文に即し具体的に検討した論文に、橋本静氏『「夢応の鯉魚」研究』がある。「鯉として肉体の痛みを感じながら、鯉としては見える筈もない周囲の様子を第三者的な視点から具に捉えているという」(注17)状態を、≺ 第三の視点 ≻とする。橋本氏は、この≺ 第三の視点 ≻の意義を、  「興義の自己認識の甘さや思い上がりを強制的に認識させ、自省に導くものとして設定されているといえる。」と意義づけるが、〈 第三の視点 ≻を、倫理的な観点と結びつけた説明はいかがなものであろうか。僧侶は、鯉魚にならずとも食事はとり、比丘として優婆塞、優婆夷を済度する立場であり、ことに重んじられなければならない存在であることは、明らかである。釈迦牟尼以来の全ての出家者は同じ立場である。したがって、「興義の自己認識の甘さや思い上がり」を秋成がここで指摘したかったという解釈は、到底、採用できない。また、『雨月物語』のメッセージは、僧侶批判というありふれた言説ではなく、衆生の宿命とでも呼ぶのがふさわしい一段と高邁な次元のメッセージであると考えるのは、果たして筆者だけであろうか。第一、この説明は、意義について述べたものであっても、≺ 第三の視点 ≻は何なのかという本質の説明にはなっていない。≺ 第三の視点 ≻とは一体何かという、唯一の合理的な説明は、興義のヴィジョンは、夜見る夢だということである。異界に魂が遊離してみたヴィジョンではないということだ。
先にも触れたように(注3 参照)『雨月物語』の諸説話の事実上の掉尾の作品は、「青頭巾」である。対象にとらわれ即自的に自足した鬼僧が、曹洞宗の「教外の旨をあきらめ」た快庵によって頓悟に導かれ、鬼僧の内なる魔界が氷解したことにより、さらには『雨月物語』の魔界が氷解することを暗示した、深刻な倫理性を持った説話である。「氷解」「放心」といった禅語のみならず、『快庵的傳禪室内秘書』という非常にマニアックな教外別伝が踏まえられているから、『雨月物語』の全体のベースになっている思想は、禅宗であると考えるべきであろう。遊魂や亡霊は、多かれ少なかれ仏教が忌避するところだが、「心は一つである」という言説は、特に禅宗が重視するものである。

…身心一如のむねは、佛法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞ、この身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて生滅せざらむ。もし一如なるときあり、一如ならぬときあらば、佛説おのずから虚妄になりぬべし。又、生死はのぞくべき法ぞとおもへるは、佛法をいとふつみとなる。つつしまざらんや。(岩波文庫第一巻35P)

と、『正法眼蔵』(注18)の中でも核心的な一章として名高い「辨道話」にても、道元は、「佛法をいとふつみとなる、つつしまざらんや。」という激しい物言いを用いて、身心が一如たることを仏法の基本であるとしている。ここをみても、「夢應の鯉魚」が『雨月物語』の説話であり秋成が書いたものである以上、興義は夜見る夢を見たのであり、興義の魂が異界にさまよったという解釈は、ますます捨てなければならないが、『正法眼蔵』は「夢中説夢」の巻で、夜見る夢について次のように論じている。

…諸佛の妙法は、ただ唯佛與佛なるがゆゑに、夢・覺の諸法、ともに實相なり。覺中の發心・修行・菩提・涅槃あり。夢裏の發心・修行・菩提・涅槃あり。夢・覺おのおの實相なり。大小せず、勝劣せず。
 しかあるを、「又夢作國王」等の前後の道著を見聞する古今おもはくは、「説是第一法」のちからによりて、夜夢のかくのごとくなると錯會せり。かくのごとく會取するは、いまだ佛説を曉了せざるなり。夢・覺もとより如一なり、實相なり。佛法はたとひ譬喩なりとも實相なるべし(同第二巻156P) 

「説是第一法のちからによりて、夜夢のかくのごとくなると錯會せり。かくのごとく會取するは、いまだ佛説を曉了せざるなり。」という語句から、現実と夢との因果関係は否定されているかのように見えるが、一方、夢の実例を扱っている「嗣書」の巻では、元鼒が道元に、夢に見た大梅和尚の啓示に従って嗣書を見せるという話が置かれている。

…長老いはく、「曾看我箇裏嗣書也否」。道元いはく、「いかにしてかみることをえん」。
長老すなはちみづからたちて、嗣書をささげていはく、「這箇はたとひ親人なりといへども、たとひ侍僧のとしをへたるといへども、これをみせしめず。これすなはち佛祖の法訓なり。しかあれども、元鼒ひごろ出城し、見知府のために在城のとき、一夢を感ずるにいはく、大梅山法常禪師とおぼしき高僧ありて、梅花一枝をさしあげていはく、「もしすでに船舷をこゆる實人あらんには、花ををしむことなかれ」といひて、梅花をわれにあたふ。元鼒おぼえずして夢中に吟じていはく、「未跨船舷、好與三十。」しかあるに、不經五日、與老兄相見。いはんや老兄すでに船舷跨來、この嗣書また梅花綾にかけり。大梅のをしふるところならん。夢想と符合するゆゑにとりいだすなり。老兄もしわれに嗣法せんともとむや。たとひもとむとも、をしむべきにあらず」。(中略)道元、台山より天童にかへる路程に、大梅山護聖寺の旦過に宿するに、
大梅祖師きたり、開花せる一枝の梅花をさづくる靈夢を感ず。祖鑑もとも仰憑するものなり。その一枝花の縱横は、壱尺餘なり。梅花あに優曇花にあらざらんや。夢中と覺中と、おなじく眞實なるべし。道元在宋のあひだ、歸國よりのち、いまだ人にかたらず。(同第二巻386ー388P)

夢と現実の因果関係を否定した「夢中説夢」の巻と、一見、矛盾するかのようであるが、矛盾ではない。大梅禅師の霊能力が元鼒を動かしたのではなく、夢でみた大梅の言葉を参考にして元鼒は「嗣書」を道元に見せるという決断をしたからだ。たとえば、私が映画をみて感動のあまり、自分のいい加減な行いを正したとしても、見た映画と私の人生は応報的な因果関係があるとは言えないだろう。同様に、「嗣書」の二つの夢、大梅法常禅師とおぽしき高僧が道元に嗣書を見せるように元鼒に勧めたことも、道元が大梅祖師から開花した梅の花をもらったのも実相であり、現実に道元が嗣書をみて仏道を成就させたのも実相であるならば、「夢中説夢」の「夢・覺おのおの實相なり。大小せず、勝劣せず。」という下りと矛盾していないどころか、まさしく、夢も現も共に独立した等価な実相だということになる。この下りはたとえば、「現成公案」の「たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。」(同第一巻50p)という一節を想起させる。薪と灰,そして生と死はそれぞれ異なる法位にあり、それぞれが厳として実相なのである。もしも夢が真の姿で、現実が仮の姿であるならば、夢の出来事が現実を左右するということがあるかもしれない。しかし、夢も現実も等価な独立した実相であるとする以上、そのような関係は認められない。夢と現実との間に因果関係をみてしまうこと、たとえば、説是第一法の力が夢に反映される、夢のお告げが現実化されるなどという理会は否定される。
興義の見たヴィジョンが、平の助の館の実際の姿と一致していようがいまいが、それが夢である以上は、偶然の一致として閑却するしかない。たとえそれが、いわゆる正夢であるとしても。平の助の館は、興義にとって慣れ親しんだ檀家の家であり、興義が館の様子を夢中に思い描くことは容易であったことと、ユングが述べている(注19)ように、いわゆるシンクロニシティの現象は意味付けこそ多様であれ、割合に良く見聞きする普遍的な現象だということも付け加えておきたい。
紙繭の鯉がまるで泳ぎ出したかのように見える、アニメーションの原理もまた、バラバラの切れでしかない絵の連続につながりをみとらせる虚妄の業である。それは、夢と現実の相関関係をみてとったり、我らが生きる実相としての人生と、あるかあらぬかわからぬ来世との因果性を期待しついみてとってしまう、われら人間の業とまさしく同じ構造(gestalt)をなしているというべきであろう。先に引用した通り「貧福論」は、「おのれ善をなして。おのれその報ひの來るを待は直きこゝろにもあらずかし。」と警告している。善行の報いを期待する凡夫の心はまことに浅ましい。
「夢應の鯉魚」は、我ら凡夫の喉元に突き付けられた公案である。「これでも、お前は放生の利益をこの説話に見て取るのか。」という問いかけ、すなわち応報の否定というモラルを『雨月物語』に反響させているのだ。




注1 『雨月物語』本文は、全て、中央公論社版「上田秋成全集」(1990〜)によった。
注2 高田衛「日本古典文学全集」(小学館 1973)『英草子・西山物語・雨月物語・春雨物語』「解説」43P
注3 拙論『「青頭巾」の悟り  --『不動智神妙録』と『快庵的伝禅室内秘書』』(「中國古典研究」中國古典學會 57号 2015)
沢庵が『不動智神妙録』にて、剣術の果し合いの相手の術策などの外的対象にとらわれず、自在に心を動かしてゆく状態を「放心」として剣術の最終段階の境地としている点に注目し、快庵が鬼僧に与えた「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の公案は、自在心を失い即自的に自足した鬼の禅病を戒めているものであると、大中寺に伝わった、『快庵的伝禅室内秘書』の内容から読み解いた。個人的体験から発する、恐怖や思い込みなどの悪しき表象を、刹那生滅の虚妄と断じ切ることこそ『雨月物語』に込められたメッセージであったとした。
注4 高田衛 「日本古典文学全集」(小学館 1973)『英草子・西山物語・雨月物語・春雨物語』「解説」45P
注5 鵜月洋「「貧福論」の意義と位相」(『国文学論叢 第六輯 近世小説 研究と資料』至文堂1963年)97P ならびに、植田一夫『雨月物語の研究』(桜楓社 1988)187P
注6 重友毅『秋成の研究』「重友毅著作集」所収(1971)第四巻 122P
注7 岩波文庫 『常山紀談』(1938−1940 森銃三校訂)「○伊達上杉陸奥國松川合戦の事附永井善左衛門岡野左内が事」136P
注8 吉江久弥『無の見 ― 上田秋成の仏教観』(「近世文藝」54, 1993 )9P 「仏法で説かれる因果応報の理を否定した秋成自身の信条」 高田衛「日本古典文学全集」(小学館 1973)『英草子・西山物語・雨月物語・春雨物語』(「解説」)43P 「宝刀奪取の祟りという趣向を中心に展開する『西山物語』の、金銭観あるいは貧富観に対する、鋭い批判の書として書かれている」
注9 拙論『謀れたる左門こそあはれなれ ー「菊花の約」論』(無窮會「東洋文化」復刊第百十二號 2015)
「尼子經久此よし伝へ聞きて。兄弟信義の篤きをあはれみ。左門が跡をも強て逐せざるとなり。咨輕薄の人と交はりは結ぶべからずとなん」という「と」でならばされた末尾の表現から、経久が追わせなかった者が左門ならば、軽薄の人も左門であるはずであるという仮定を導き、戦国の常識や当時の雲州の国人の動静に鑑みて見え透いているとしか言いようがない、経久をことさら貶める虚言を述べる宗右衛門を、左門が美しく誤解して、理の合わぬ仇討ちをしたとした。
注10 山崎芙美子 『「夢應の鯉魚」と鯉魚図』(「国語国文」 72(2) 2003 ) 358p 興義と成光の事跡は『本朝画史』上巻(狩野永納 著1675成立)7P 国会図書館デジタルライブラリーに、1883年佚存書坊版の影印のリンクがある。 
注11 『望月佛教大辞典』(第三版1960)4617P ならびに 中村元『佛教語大辞典』(1981)1240P
注12 天台寺門宗『日常勤行式』(天台寺門宗ホームページ)ならびに、岩波文庫『法華経』(坂本幸男 1976年)
注13 たとえば、『膽大小心録』(全集第九巻198P)には、一向宗批判がある。しかし、「門徒宗とは身かってな題目じゃ。一向宗とはいふが、是も一心一向の略で、きこへぬ/\」と名前を批判したり、僧侶の肉食妻帯や本寺を絶対とする組織構造、戦国時代の武装化を批判したものであり、教義批判には至っていない。
注14 中村幸彦『秋成に描かれた人々』(「中村幸彦著述集第六巻」所収 1982)236p
注15 「雅俗」12 2013 92p〜93p
注16 全文は次の通り
葛季原字子明、別号羅園、浪速一画史也。鑽仰此道、小時不鮮。一夜罷寐、怳惚之際、夢見一蛇、金鱗宛轉、委蛇腹行、而口含一珠。季原熟視、而不畏掬手授之。蛇吐而置之掌中、去不順。醒而呆然、一懼一憂。已而、又一夜、夙興収衾、牀上覚然得一�Αz�々如玉、季原又大駭取而葆焉。此�ε訓�則膚如沾、晴又如旧。徧問之、所識人皆聴而賀之。其事太實際也。嗟、天地曠渺、無不有。昔隋矦得明珠於霊蛇。則陰徳之感不可誣也。季原之得��似矣。仰其道所感、必有後日験歟、因号蛇玉、記始末之崖略、以為左券云。
丙戌三月之吉                         鹿門河維明撰
注17 広島女学院大学博士論文(2004 国会図書館収蔵)
注18 水野弥穂子校注『正法眼蔵』全4巻、(岩波文庫 1990ー1993)によった。ただし表記を一部旧字に改めた。
注19 『原子と元型』("Atom and Archetype:The Pauli/jung Letters, 1932 - 1958"という、David Roscoe氏の英訳。邦訳なし。Princeton University Press 2001   Note by Jung on Synchronicity )211p


図 葛蛇玉「鯉魚図」(部分。東近江市曹源寺蔵)



付記
本会「東洋文化」(復刊112号 2015)の拙論、『謀(たばか)られたる左門こそあはれなれ  「菊花の約」論』において、初版の版画について「鉢屋一党や尼子経久の与党の武士が命がけで働く姿により、本編のテーマである軽薄ならざる本来の「信義」を表したと解釈するのが妥当であろう。」と致しました。しかし、井上泰至氏が、『近世刊行軍書論 教訓・娯楽・考証』(2014)にて、『陰徳太平記』を引きつつ「…赤穴から見れば「腹心爪牙」の臣はいないと見えた尼子家にも、唯一例外として存在したのが山中党の存在であることをも、この挿絵は暗示しているのではないか。」とのほぼ同趣旨の指摘をなさっていたことを、見落としておりました。謹んでお詫び申し上げます。


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