mixiユーザー(id:12410478)

2016年04月03日06:50

2737 view

「青頭巾」の悟り  --『不動智神妙録』と『快庵的伝禅室内秘書』


「青頭巾」の悟り  --『不動智神妙録』と『快庵的伝禅室内秘書』
                                本間 也寸志
   
1 「青頭巾」の位相
上田秋成「青頭巾」を論じる。
「青頭巾」の梗概は、以下の通りである。

快庵は、教外の理(教外別伝)を極めた、雲水行脚の禅僧である。下野国富田へさしかかったとき、宿を求めると、人々は、「山の鬼が来た」と騒ぎ立て、隠れる。誤解が解け、家の主人は快庵を迎え入れ、事情を語る。近くの山寺の阿闍梨は篤学の僧であったが、みやびやかな稚児を寵愛するようになった。稚児は病死したが、僧は遺体に寄り添って死肉を食らい骨をなめ、舐りつくした。墓をあばき屍を食うようになって、鬼と化してしまい、里人は恐れているという。快庵は、「ひとへに直くたくましき性のなす所なるぞかし」「心放せば妖魔となり、収むる則は仏果を得る」と述べて、鬼を済度すべく、件の山寺に向った。一夜の宿をたのむと、現れた主の鬼僧は、好きになされよと不愛想にいい、寝室に入っていった。真夜中、坐禅を組んでいると、食人鬼となった鬼僧が部屋から現れるが、目の前の快庵を見ることができず、とうとう疲れて倒れてしまう。夜が明け、快庵が変らぬ位置に坐っているのを見つけ、呆然としている。快庵は、飢えているなら自分の肉を差し出してもいいと言い、昨夜はずっとここで起きていたと告げると、僧は餓鬼道に堕ちた自分を恥じ、快庵に救済を求めた。鬼僧を庭の石の上に座らせ、被っていた青頭巾を頭にのせた。そして、証道歌の二句を授けた。「江月照松風吹 永夜清宵何所為」。この句の真意が解ければ、本来の仏心に出会うことになると教えて山を下りていった。 一年後、富田へ立ち寄り、家の主人に様子を聞くと、その後鬼が山を下ったことは一度もないといい、喜んでいる。山に登り寺の様子を見ると、庭の石の上にうずくまる影があり、低い声であの証道歌を唱えていた。快庵は杖をもって「作麼生(そもさん)、何の所為ぞ」と頭を叩くと、鬼僧の体は氷が解けるように消え、後には、骨と頭の上の青頭巾だけが残った。快庵は、住職となって寺を再建し、真言密宗だった寺を曹洞宗に改め、「初祖の肉未だ乾かず」と嘆賞され、寺は大いに栄えたという。

『雨月物語』の各説話には、謎と言えるものが多くある。代表的なものは、「菊花の約」の「軽薄」であるが、読者に引っかかりを与えながらも進行し「白峰」から「吉備津の釜」まで、異域と現実との葛藤を描いた物語が続く。しかし、注意深く見直せば、異域とは、化け物が登場するおどろおどろしいだけの世界ではなく、「白峰」の易姓革命を巡る齟齬、「菊花の約」(注1)の山を越えた出雲の地に投影された左門の思い込みの悲劇、「無應の鯉魚」の人間と畜生界のつかの間の反転,「浅茅が宿」の罪悪感が紡ぎ出す一夜の安らぎの夢…と、こちら側の世界、いわば此岸世界の歪みの投影として語られていく。早くから、高田衛氏らの「オムニバス」形式との指摘(注2)があるように、『雨月物語』は、構成がよく練られた形式の物語である。最後から二番目に配された「青頭巾」は事実上、『雨月物語』の掉尾の作品であり、夢から覚めるという隠喩を以て金銭という現実が語られ、現実回帰が称揚される最後の作品「貧富論」により全体が完結する。「青頭巾」の頓悟による異域解消こそ、『雨月物語』全体を俯瞰し味読する鍵となるものだ。謎に正解を与え、全体を貫く柱となるものではないか。
快庵は、実在の人物でありながら、説話にも和歌にも未聞のマイナーな人物設定である。だからこそ、「菊花の約」の赤名宗右衛門同様、史実を踏まえた上で読み解いてほしいという、秋成のメッセージがそこにあると考えるべきであろう。「青頭巾」の説話に踏まえられるべき史実とは、快庵が極めた禅宗の教外別伝のことである。鍵は禅の教理にあり、「青頭巾」の全体の読みは、鬼僧を改心させるために大中寺に赴く際に快庵が述べる、

「心放せば妖魔となり。収むる則は仏果を得るとは。此法師がためしなりける。」

という言葉と、妄執からの助けを求められた鬼僧に対して快庵が、与えた「証道歌」の公案

…証道の歌二句を授給ふ 江月照松風吹 永夜清宵何所為  汝こゝを去ずして徐に此句の意をもとむべし。

この二つをどう解釈するかにかかっている。秋成の仏教観の全貌は明らかではないが、白文と口語を混ぜて、身構えない秋成の本音を自在に書いたと思われる 随筆『遠駝延五登』には、

…顕教、猶、太素本草経。密呪、猶人参黄耆等薬。依方療廟、今所奉講経、但読文談義、不嘗依法、猶聞説甘露美、不得嘗醍醐味(中略)是、法術の二つあるを知るべし。安心覚悟の術も大悟小悟幾たひと聞には、とにかくに凡心の身を離れぬにや。しらぬ事に口やまぬひかひかしさよ。(『遠駝延五登』)

とある。『本草経』のように効能が説かれているだけで、現実には甘露のうまさも醍醐の味も経験させてくれない顕教に引き換え、作用が激しい生薬である人参黄耆に匹敵する密教を称揚している。また、「しらぬ事に口やまぬひかひかしさよ。」とある通り、密教の教理や験に精通した秋成の自負を滲ませている。
一方、禅については、

…此の時(仏教伝来当時 引用者注)達磨宗盛りなりしかば有を棄無に帰す覚悟を修し得たる人も有へし(『遠駝延五登』)

とあり、「有」を「無」にする達磨以来の禅宗にも高い評価を与えていたことがわかる。
「青頭巾」の悟りは、研究史上、概ね次のような解釈がなされてきた。
イ 禅宗に対する真言宗の「無残な敗北」の物語(森山重雄氏(注3)など)
ロ 何の意味もない語を考え続けて、鬼僧の妄執の対象を証道歌の句に移し植えたという物語(松田修氏(注4) など)
ハ 「心放せば妖魔となり収むる則は仏果を得る」を地で行った頓悟の物語(中村幸彦氏(注5)など)
二 「放心」に自己の分裂をみて、仏教理解が未熟なまま書かれた物語(内村和至氏(注6)など)
私の結論は、イかつハであるが,惜しむらくは、従来の論は、秋成が自負する仏教の教理に踏み込んで解釈していないきらいがある点である。本論では、教義に一段と踏み込んで考えてみたい。なお、「青頭巾」など上田秋成作品の本文は、中央公論社版「上田秋成全集」(平成2年〜)によった。

二 「放心」と「氷」

まずは、第一の問題から考えよう。「心放せば妖魔となり」という問題の語句である。
復文すると、さしずめ「放心為妖魔」ということになろう。秋成の禅学学習の具体的な経緯は詳らかではないが、秋成は『雨月物語』など近世小説の作者であると同時に、国学者としての一面、歌人や俳人としての一面があることはよく知られているが、煎茶道の茶人(注7)としての一面も見逃せない。
『青頭巾』の冒頭には、快庵が「教外の理をあきらめ」た僧だったと述べられている。「教外の理」すなわち教外別伝は、書物によることがない伝承を指す。もちろん、そのうちのいくつかは、後述する『快庵的伝禅室内秘書』のように、切の累積として後世に残ることもあるにしても、概ね、禅を極めた者との直接の交流を指す。秋成は臨済禅の僧との交流を通じて得た悟りの本質的意味を作品に残したのではないか。さらに掉尾には、「されば禅師の大徳雲の裏海の外にも聞こえて、 初祖の肉未だ乾かず と称嘆しけるとなり」(傍線引用者。以下同様)という語が見える。ここでいう初祖とは、日本曹洞宗の開祖である道元や、舞台となった大中寺の開山者を表しているのではない。禅宗の文脈で、六祖といえば慧能を指すように、初祖といえば達磨大師を指し、達磨大師は、曹洞宗臨済宗を含む禅宗諸流の共通する初祖であり、後述の『正法眼蔵』の引用が示しているように、「放心」を曹洞禅の文献から語っても、臨済宗の説くところをみても、同じものとなる。
茶人でもあり、一休や白隠らを含む日本臨済宗の主流である応灯関の法灯の名僧、沢庵宗彭( 1573 〜 1646 )が 『不動智神妙録』(注8)にて、「放心」と「氷」という、「青頭巾」解釈においてキーワードとなるべき言葉について語っている。この二語を説いた、秋成が内容を知りえた禅籍は、管見に係る限り、この書にとどめを刺す。柳生家に与えた剣術書であるから、沢庵は、相手の剣に心をつければ、相手の術数に心を奪われる、すなわち相手の文脈に絡めとられるといったことを、ひとしきり具体的に述べてから、

…求放心 と申すは、孟子が申したるにて候。放れたる心を尋ね求めて、我が身へ返せと申す心にて候。たとへば犬猫鶏など放れて餘所へ行けば、尋ね求めて我が家に返す如く、心は身の主なるを、悪敷道へ行く心が逃げるを、何とて求め返さぬぞと也。尤も斯くなるべき義なり。然るに又、邵康節と云ふものは必要放と申し候。はらりと替り申し候。斯く申したる心持は、心を執へつめて置いては労れ、猫のやうにて身が働かれねば、物に心が止まらず、染まぬやうに能く使ひこなして、捨て置いて何所へなりとも追ひ放せと云ふ義なり。物に心が染み止まるによって、染ますな、止まらすな、我が身へ求め返せと云ふは初心稽古の位なり。蓮の泥に染まぬが如くなれ。泥にありても苦しからず。よく磨きたる水晶の玉は、 泥の内に入っても染まぬやうに心をなして、行き度き所にやれ。心を引きつめては不自由なるぞ。心を引きしめて果つるなり。稽古の時は、孟子は謂ふ求放心(注9)と申す心持能く候。至極の時は、邵康節が心要レ放と申す邵康節が心をば放さんことを要せよと云ひたると一つにて、放心を求めよ、引きとどめて一所に置くなと申す義にて候。又具不退転と云ふ。是も中峯和尚(注10)の言葉なり、退転せずに替はらぬ心を持てと云ふ義なり。人ただ一度二度は能く行けども、又つかれて常に無い裡に退転せぬやうなる心を持てと申す事にて候。

と、述べる。まず、第一段階として、わが心へと呼び戻すことが必要とされる。道元もまた、『正法眼蔵』「現成公案」(注11)において、

…身心を挙して 色を見取し声を聴取するに、したしく会取すれども、かがみに影を宿すごとくにあらず。水と月のごとくにあらず。一方を証するとき一方はくらし。

と述べている。心は一つしかないから、自ら進んである対象を志向すると、自分が見えなくなるとの警告である。そして、次の段階は、沢庵自身が「はらりと替り申し候」と述べているように、第一段階とは全く逆に、心を放して自由にせよと述べている。邵康節の述べる「心要放」であり、中峯和尚の言葉「不退転」と同じである。別のところで、「猫によく仕付をして置いて、縄を追放して行度き方へ遣り候て、雀一つ、居ても捕へぬやうにするが、應無所住而生其心の文の心にて候。我心を放捨て猫のやうに打捨て、行度き方へ行きても、心の止らぬやうに心を用ひ候」と述べている。この境地に至れば、心を放しても、「よく磨きたる水晶の玉は、 泥の内に入っても染まぬやうに」なるのである。要するに、果し合いの際に対峙する相手の術数などに囚われなくなるようにせよとの教えであり、その途中経過、すなわち条件や前提として「心を収る」ことはが必要とされる。「放心」の心の他に、心を収める容器のような心があるわけではない。したがって、内村和至氏が『秋成「魔佛一如観」批判―「青頭巾」を巡って』において述べている、「心を収る」には主客の分裂があり、秋成は禅を理解していないとの考え方は、首肯できない。
さらに、『不動智神妙録』は、

…本心妄心 と申す事の候。本心と申すは一所に留らず、全身全體に延びひろごりたる心にて候。妄心は何ぞ思ひつめて一所に固り集りて、妄心と申すものに成り申し候。本心は失せ候と、所々の用が缺ける程に、失はぬ様にするが専一なり。たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不レ申候。氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし。心一所に固り一事に留り候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候。心を溶かして総身へ水の延びるやうに用ゐ、其所に遣りたきままに遣りて使ひ候。是を本心と申し候。

と続く。本心すなわち自在心を得ることを沢庵は、「氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして」と表現している。『青頭巾』のストーリーの結末部分、すなわち、快庵が「作麼生、何所為ぞと。一喝し」鬼僧の頭を錫杖でうち据え、鬼僧が消えるシーン、

…忽氷の朝日にあふがごとくきえうせて。かの青頭巾と骨のみぞ草葉にとゞまりける。現にも久しき念のこゝに消じつきたるにやあらん。たふときことわりあるにこそ。

は、なぜ氷が解けるかのように描写されているかは、今までしばしば問題にされてきた。典拠に基づいており、腑に落ちる説は、鷲山樹心氏の「瓦解氷心」という禅語を踏まえたものだとする説である(注12)。僧は悟ったのであり、その悟りの内容は『不動智神妙録』の描写をみる限り、一つの対象に絡めとられた心を自在心に直したということがみて取れる。 だが、すぐに思い当たるのは、鬼僧がとらわれていた色欲という妄執は、理知とは割合と関係がなさそうだということである。時間を掛けて漸悟するべきものだというのが、穏当なところである。頓悟するには、いわば世界観の転換とでもいうべき、キリスト教ではないが、決定的な「回心」というがごときものがなくてはならない。では、鬼僧は、証道歌の「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の二句から、どのような頓悟を得たのであろうか。 そして、沢庵が述べる「全身全體に延びひろごりたる」自在心とは、一体、どのようなものであろうか。

(つづく)
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年04月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930