mixiユーザー(id:12410478)

2015年09月09日14:51

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葬式。日本人的自己欺瞞の典型です。

まず、お墓や神通力を信じている人はいないでしょう。

たとえば、私。
父方本家の寺には累代のお骨が眠っています。
しかし、祖母の実家のお骨などは、知りません。
母方の家は、分家ですから、祖父母、伯父しか眠っていません。

よく、無縁仏になるから…という人がいますが、
我々の先祖のほとんどが無縁仏です。

無縁仏、戒名というのは、江戸期に、お寺さんの資金源として開発された技に過ぎません。

信じていないのに、仏事をやる。
これが、わかりませんね。

また、歴史的根拠も、皆無です。

『方丈記』には、

あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まささまにあとかたなし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつきはまりゆくさま、少水(せうすい)の魚(いを)のたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごと乞ひ歩(あり)く。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地(ついひぢ)のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香(か)世界にみち満ちて、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かりき

その上に疫病までが重なって、何もかもだめになった。世間の人々は皆飢えきっており、日が経つにつれて行き詰っていくありさまは、「少水の魚」のたとえにも等しい。ついには、笠をかぶり、足を包んで、よい身なりをした婦人までが、一途に家々に物乞いをして歩いている。このように困窮した人々は、今歩いていたかと見れば、いきなり倒れてしまう。土塀の前や道端には、飢え死にした者らの数が計り知れない。死体を取りかたづける術もなく、死臭があたり一面に充満し、腐って変わっていく顔や姿は、むごたらしくて目も当てられないのが多かった。

とあります。『餓鬼絵巻』などにもありますが、庶民の死体は、放っておいて、鳥獣に食われるの任せるのが常でした。

そりゃあ、そうです。
成仏の条件として、お坊さんが経を読む…なんてことは、仏教の思想ではありません。
第一、パーリ語経典や阿含経(新興宗教の阿含宗は、僭称。阿含経典とはあまり関係ありません)の前に、釈迦牟尼以外の成仏者がいたのに、その方の時代は、どういう葬儀をしたのでしょう。

尊敬する兄弟子の、お父上がなくなりました。
さすがに、親類縁者がやってくるので、
会場を葬儀業者以外から借りて、
仕出し弁当やビール、刺身盛り合わせなどを出前してもらったそうです。
お経は、兄弟子(故人の長男)が、『大般若経』を転読して、終わり。
乱暴なようですが、圧倒的大多数の坊主は、『大般若経』を語学的に理解できない。兄弟子は、理解できます。この方がいいです。

我が師、佐藤六龍の遺言のように、
「お骨にしたら、山手線の網棚の上に置き忘れろ」
こっちのほうが、より徹底していますが。



親の遺骨置き去りで逮捕 「納骨する金銭的余裕ない」の供述
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3607104
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