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2015年08月30日11:28

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四国遠征−29/松山城「二の丸史跡庭園」

「愛媛探訪日記」の3回目。
松山城本丸の見学を終えて、次に「二の丸史跡庭園」を見学した。
松山城は松山藩初代藩主・加藤嘉明によって建設されたが、城郭全体が完成したのは二代藩主・蒲生忠知の時代(1627〜1634年)とされている。
「二の丸」は本丸を防御する為の施設で、高い石垣と内掘、強固な櫓、門が築かれている。

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黒門口登城道を通り「二の丸」へ下山。

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「四足門」(復元)
かつては、この北門から本丸へ登っていたと言う。

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↑(TOP左画像)
「二の丸多聞櫓」の入口
多くの石落が見られる。
史跡庭園には城郭の西側から入る事になる。

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「井戸」

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「多聞櫓」(復元)
室内は展示室になっている。

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「二の丸御殿」復元模型
表御殿の書院や広間、奥御殿の居住区画が見てとれる。
また、中央の方形の穴は大井戸になる。

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「聚楽亭」(左)、「米蔵」(右)

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「奥御殿跡流水園」
「奥御殿」の建物は復元されていないが、部屋の間取りの中に水が流れるように工夫している。

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「林泉庭」
露岩を背景に池のある庭園で「わび」「さび」を表現していると言う。

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「大井戸遺構」(発掘)
東西18m、南北13m、深さ9m
防火用水として備えていたと思われる。

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「南門」

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↑(TOP右画像)
「二の丸」全景
山上は戦闘用の「本丸」だが、平和時は政庁機能をこの「二の丸」の御殿にもたせた。
しかし、強固な高石垣を造営している事が分かる。
また、かつては石垣の前には内堀が巡っていたと言う。


さて、明治以降の「松山城」は失火や戦災により多くの建物が焼失したが、残った天守以下21棟が1950年(昭和25年)に国の重要文化財に指定された。
さらに松山市は1958年(昭和33年)から年次計画的に城郭の復元に着手。
平成に入ってからも多くの建物が復元され、往時の本丸、二の丸の姿が再現されつつある。
これらの多くは木造復元としたため、現存する重文建築物との違和感は無く、城郭全体の景観や規模は非常に素晴らしい。
まさに松山市のランドマークとして重要な観光スポットと言えるでしょう。


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