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2026年09月15日00:00

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恵那紀行02 中山道大井宿

 8月16日水曜日に訪れた恵那市の中心部は、中山道46番目の宿場だった大井宿(オオイジュク)の跡で、今も宿場町の風情が残っています。
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 御三家尾張藩領で、江戸方から横町・本町・竪町・茶屋町・橋場の五町があり、それぞれの町は六ヶ所の枡形によって区切られていました。
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 住民の多くは農商も兼ねおり、信州からの牛荷物も多く往来、更に大井宿から槙ヶ根追分を経て、名古屋へ向かう下街道を利用する旅人も多かったため、中山道宿場町の中でも特に栄えた地でした。
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 天保14(1843)年当時の人口は466人、家数110軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠(ハタゴ)41軒の規模でした。
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 なお、旅籠と木賃宿(キチンヤド)の違いは、前者が食事付、後者が素泊まりでした。
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 城下町に多いクランク状の街路が特徴になっています。
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 大井宿の西端を流れていた阿木川です。
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 ここに架かる大井橋が西側の入口になっていました。
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 白木番所跡です。
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 この番所には尾張藩の役人が常駐して、木曽の材木流しや木材製品の監視の外、領内の山林の見回・各村々の木材の伐採申請の検分等を行っていました。木曽の木材は木曽川に流し、錦織(現八百津町)で筏に組んでから名古屋・桑名方面へ下していたため、この付近の木曽川沿いに、奥戸・久須見・小僧が屋敷・横樽等の川並番所があり、その取締りもこの番所が行っていました。
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 白木番所跡の東北に事代主神(コトシロヌシノカミ)を祭る市神神社があります。
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 長禄・寛正年間(1457〜66)の頃、字市場田に霊石を安置し八大龍王を祀ったのが最初とされますが、何回か鎮座地を変え、寛永9(1632)年に市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト;大国主命)・事代主命・水分神(ミクマリノカミ)・稲荷大明神を合祀、貞享5(1688)年に阿木川の畔へ遷座しました。
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 明治25(1892)年に現在地へ遷座し、無格社ながら旧大井宿住民の信仰を集めました。1月7日の例祭七日福市と呼ばれ、賑わいます。
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 拝殿です。
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 本殿です。
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 市神神社の南には高市総理の側近でもある古屋圭司元国務大臣(1952〜)邸があります。古屋家は、江戸時代には古山家と称して大井宿庄屋の上に立つ惣年寄となっており、明治以後は四代に亙って衆議院議員を務めています。
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 大井宿下問屋場跡です。
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 大井宿問屋場は本町上の上問屋とここの二か所にありました。問屋場は人や荷物の継立事務を行う場所で、宿役人(問屋・年寄)や下役人(人足指・馬指・書役等)が月を半分にして、上問屋と下問屋で交代勤務していました。
 宿役人は、大井宿が幕府の命により毎日用意している人足50名と、馬50頭を使い、これでも不足するときは助郷村の人馬を集めて、隣宿の中津川宿や大湫(オオクテ)宿まで、主として公用客の輸送にあたっていました。
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《続く》
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