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2026年08月29日10:47

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草間彌生さん亡くなる

裏エンタメ通信

96歳の芸術家の展覧会に、57万人を超える人が押し寄せた。
しかも展示されていたのは、半世紀前の名作だけではない。
草間彌生は90代になっても新しい作品をつくり続けていた。
2024年末から翌春にかけてメルボルンで開かれた大規模展は、ビクトリア国立美術館の有料展として史上最多の来場者を記録した。

その草間彌生さんが、2026年8月14日、東京都内の病院で亡くなった。97歳だった。
事務所によれば、亡くなる直前まで絵筆を手放さず、制作を続けていたという。
ニュースを見て、水玉模様のかぼちゃや赤い髪を思い浮かべた人も多いだろう。
けれど、草間彌生という人の不思議さは、「世界的な芸術家になったこと」だけではない。
むしろ驚かされるのは、若いころより、年齢を重ねてからのほうが、存在感が大きくなっていったことだ。

1929年、長野県松本市生まれ。
幼いころから幻視や幻覚を経験し、目の前に現れる水玉や網目のようなイメージを絵にしていった。
それは最初から「おしゃれな水玉」だったわけではない。
本人にとっては、自分を圧倒する感覚と向き合うための表現でもあった。
やがて同じ形を反復し、増殖させていく方法は、「無限の網」や鏡を使った空間作品へとつながっていく。

1957年、草間は日本を離れ、アメリカへ渡った。
翌年からニューヨークを拠点に活動し、絵画だけではなく、柔らかな彫刻、鏡と光を使ったインスタレーション、映画、ファッション、パフォーマンス、反戦のハプニングへと表現を広げていった。
今なら「ジャンルを越えた現代アート」と言える。
しかし1960年代にそれをやるのは、相当に早かった。
しかも、当時のニューヨーク美術界で日本人女性が自分の名前を押し出して活動すること自体、簡単なことではなかったはずだ。
それでも草間は、周囲に合わせて自分の作品を分かりやすくする方向へは進まなかった。

同じ点を打つ。
同じ網を描く。
同じ形を、こちらの感覚が揺らぐほど繰り返す。
「もう十分では」と思えるところを越えて、さらに続ける。
このしつこさこそ、草間彌生の強さだったのかもしれない。

1973年に帰国すると、日本ではすぐに現在のような評価を得たわけではなかった。
刺激的な活動ばかりが取り上げられ、作品そのものが十分に理解されない時期もあった。
小説や詩を書きながら制作を続け、再び大きな転機が訪れたのは1993年だった。
ヴェネチア・ビエンナーレ。
27年前、1966年には会場周辺で大量のミラーボールを並べるゲリラ的な活動をしていた草間が、今度は日本代表として正式に日本館へ戻った。

中心に置かれたのは《ミラー・ルーム(かぼちゃ)》。
この展示は、長く誤解や偏見にもさらされてきた草間を、戦後美術の重要な作家として改めて評価する大きなきっかけになった。
ここからが、普通の「再評価された芸術家」と少し違う。
評価が定まったあとも、草間は昔の代表作だけで生きなかった。
巨大なかぼちゃ、野外彫刻、無限に続く鏡の部屋、新しい絵画。
美術館へあまり行かない人にも、「あの水玉の人」と伝わるほど作品が街へ出ていった。

2006年には高松宮殿下記念世界文化賞の絵画部門を日本人として初めて受賞。
2016年には文化勲章を受章した。
それでも、肩書が草間を完成させたわけではなかった。
90代になっても制作は続いた。
2024年に制作された作品まで含むメルボルン展に57万人以上が訪れたという事実は、そのことをよく表している。
草間彌生は「昔すごかった人」として見られていたのではない。
現在進行形の作家として、人を集め続けていたのである。
そして今も、東京の草間彌生美術館では展覧会が続き、2026年9月からはアムステルダム市立美術館で大規模展が予定されている。
本人がいなくなったあとも、作品は世界を回り続ける。

考えてみれば、水玉というのは単純な形だ。
子どもでも描ける。
かぼちゃも、誰もが知っている。
それなのに、それを何十年も繰り返して「草間彌生にしか見えない世界」にしてしまった。
才能だけでは、そこまでは続かない。
理解されない時期も、評価が戻ってきた時期も、世界的な名声を得たあとも、結局この人がしていたことは同じだった。
描くことだった。

だから草間彌生を思い出す時、赤い髪や水玉のかぼちゃだけでは少し足りない気がする。
97年の人生の中で、何度時代の空気が変わっても、自分の見えている世界を手放さなかった人。
その長さそのものが、一つの作品だったのかもしれない。
皆さんにとって、草間彌生さんと聞いて最初に浮かぶのは、どの作品、どんな姿でしょうか。
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