日韓のプロ野球で首位打者、白仁天さん死去 82歳 東映、太平洋、ロッテなどでプレー
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韓国出身で、昭和30年代後半から50年代半ば頃にかけてのNPBのパ・リーグの東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)や太平洋クラブライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)などで活躍、KBO(韓国プロ野球)の発足と同時にその第一期生としてMBC青龍(現在のLGツインズ)に移籍、日韓で首位打者に輝いた白仁天(ペクインチョン、はくじんてん)が亡くなる、ですか。昭和37年に韓国の社会人チーム(韓国農業銀行)から捕手として東映入りし、後に外野手に転向、張本勲や大杉勝男などが打線に名を連ねるチームの主力打者となるも昭和50年にトレードで太平洋に移籍、その年に3割1分9厘で首位打者のタイトルを獲得、ロッテ、近鉄を経て昭和56年までNPBでプレイ、NPB通算で1969試合出場、1831安打、209本塁打、776打点、212盗塁、打率2割7分8厘を記録し、翌年に韓国プロ野球(KBO)が発足するのに合わせ韓国に戻り、MBC青龍に監督兼任指名打者として入団、今もKBO唯一の4割打者である打率4割1分2厘で首位打者、KBOでは3シーズンプレイし引退、と言うのがその現役生活で、所謂「人気のセ、実力のパ」と言われた時代のパ・リーグで活躍した名選手の一人と言えるでしょう。
引退から暫くは野球から離れた時期があったようですが、複数のKBO球団や大学で監督や打撃コーチ、打撃インストラクターなど指導者を歴任、LG監督1年目の1990年にリーグ優勝、韓国シリーズを4連勝で制覇に導きKBOリーグ最優秀監督賞を受賞も、脳出血で倒れて一時休養したり、選手との対立でトラブルを起こしたりすることもあったようで、2003年を最後に監督業から身を引き、脳梗塞の持病を抱えながら野球解説者、野球評論家に転じ、2009年には日本の外務省の外郭団体である日韓文化交流基金より「プロ野球を通じた日韓交流と友好親善への功績」が評価され、日韓の文化交流に貢献のあった韓国人に贈られる「日韓文化交流基金賞」を受賞したこともありましたが、脳梗塞の悪化で心肺停止となり、自宅から搬送後に亡くなったようです。合掌。
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