朝4時半すぎ、車を会社へと東に走らせると、空の端がゆっくり赤く染まり始めていた。
街はまだ眠っていて、信号の光だけがぽつんと浮かんでいる。
早朝の静けさの中で見る朝焼けは、
毎日同じ道でも、どこか移ろいやすいものを思わせる。
先日見たニュースでは、PayPayが障害で使えなかった人が多かったらしい。
ただ、私はキャッシュレスを使ったことがないので、「そうなんや」と画面を閉じた。
家のクレジットカードは全部妻が持っていて、私自身は暗証番号すら把握していない。
カードを渡されても、きっと使い方がわからず立ち尽くすだけだ。
長年、出張旅費を少しずつ浮かせてきた結果、
財布には積み重ねてきた紙幣の“静かな重み”が残っていた。
毎月のお小遣いは無いので、この現金が私の生活の支えになっている。
時代がどんどん進んでいく中で、
私は逆に“時代遅れでいたい自分”にあこがれているところがある。
紙幣や小銭の重みで安心する“アナログな私”が確かにいて、
そのアナログな自分が、消えゆくものにそっと寄り添っているようにも感じる。
アナログがいつ通用しなくなるのか不安を抱きながらも、
この生活を変えない自分が、いつ後悔するのか……そんなことを考えつつ、
時代の流れの速さに置いていかれそうな気持ちも、どこかで受け入れている。
家に帰ると、冷蔵庫から取り出した麦茶に、にがりを少し入れてひと口。
そのまろやかさが、外のざわつきをすっと消してくれる。
家庭の灯りの中に戻ると、現金の安心感とはまた違う、静かな落ち着きがある。
夜はエアコンの効いた自分の部屋で、いつものようにネットを眺めながら過ごした。
画面の向こうでは、世界がどんどんデジタルに進んでいく。
その流れを見つめながら、ふと思う。
消えゆくアナログとともに、私はどこまで歩いていけるのだろうか。
消えゆくものと、まだ残るもの。その間で今日も静かに暮らしている。
答えはまだ出ないまま、一日が静かに終わっていく。
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