「水俣 −患者さんとその世界−<完全版>」1971・東プロダクション・白黒35�弌�BD)。監:土本典昭。製:高木隆太郎。撮:大津幸四郎。録:久保田幸雄、浅沼幸一。編:関沢貴子。。題名の通り『水俣病』を被害者サイドから記録したドキュメンタリーです。一方的に切り捨てられる存在から、
団結して汚染源『チッソ』社と対決するに至る様、そして水俣病患者の実態を鬼気迫る映像で提供。日本は1930年代頃から『問題が起きても決定権を持つ人間に責任が及ばぬよう』組織の仕組みを進化させて現代に至っており、『水俣病』など公害被害はその典型例で、責任者は自分と神の区別が付かず称賛だけを
受け付け、他人の命は1円の価値に劣ると思考してる様子も克明に描かれます。優越感を欲してるのは何も責任者ばかりではなく『水俣病』に関しては患者の児童が虐めに遭うなどといった二次被害からも社会に蔓延してる傾向なのが分かります。近年では福島原発事故から避難していた児童が、受け入れ地域の人間が
自分の子供を焚き付けて虐めさせるといった代理戦争の様な事が起きてましたよね。被害者に対しより被害を拡大させる事を自分の手を汚さず行い自尊心を満たすという人間性が日本社会に蔓延していて改まる訳では無い事が本作を観ていてよく理解出来ます。一方で映画では描かれませんが、
公害被害に代表される組織(特に製造業)問題に対処する為にはまず人間を養成するところからだという発想も生まれ、現場で洞察能力を鍛えられた人間達が問題を事前に察知、或いは発生した問題に迅速に対処し1980年代の世界一の経済大国を築いた訳です。が、バブル経済に終焉と共にそうした
高い能力を備えた人物達は決定権を持つ者達個人にとっては脅威と見做されリストラの口実で真っ先に解雇されて行きました。なので現代の企業事故などで『最初に気付けよ!』とのツッコミをよく目にするのは、無能なのにプライドだけは高い管理職が現場を仕切る社会に成ったからに他なりません。
同時に戦後の国家や大企業によるメディアのコントロールは『水俣病』を契機に始まったと感じます。現代でも何者かにとって本当に知られてはマズイ事は国民に気が付かせ無いよう、例えば東北震災地域の今はニュース番組でお涙頂戴的な囮の情報を報道していて、実際に現地での観察との乖離が甚だしいです。
「不知火海」1975・青林舎・35�弌�BD)。監:土本典昭。製:高木隆太郎。撮:大津幸四郎。編:市原恵子。音:小栗孝之、松村禎三。解:伊藤惣一。。タイトルで分かる通り『水俣病は水俣だけのもの』とする情報操作に対し、対岸の天草諸島や不知火海周辺全般に時代のスパンも付け目を向けた作品。
チッソ水俣工場(現JNC)は当初火力発電所の余熱を利用し産業化する事でスタート(実際は曽木電気の水力発電所から水俣の日本カーバイド商会へ送電、合併して日本窒素肥料となる)、労働力として周辺貧困層に収入源を提供。一方その後1932年からメチル水銀廃液を海に流し『水俣病』が発生。
問題が社会に認識された後も1964年まで処理施設を偽装し実際はメチル水銀をそのまま垂れ流ししていた事が発覚。会社の対処としては調査や裁判を先送りにして時間稼ぎをし、被害者が高齢化して死ねば勝ちという戦術という基本情報を改めておさらいする事から始まります。余談ながらこの戦術が最近の
何かにソックリだと思ったら辺野古沖遭難事件でした。当事者団体は表に出るのを止め、メディアも『正義の為に報道を自粛』。ダンマリを決め込み世間が忘れれば加害者側の勝ちってやつです。話を本作に戻して、保証が行われるように成ったものの、認定患者は次々と御殿を建てる富裕層に転換したものの、
認められない被害者との格差が大きく、また申告自体がされないように促す社会圧力が描かれます。御殿を建てた被害者自身も金銭的に満たされても仕事の出来ない体から来る人生の虚しさ、また財を築いても相続する子供の次の世代は生まれて来ないというジレンマがあります。オタク的にはラジコンカー
(まだ電動が普及する直前でエンジンカー)や鉄道模型、安価なホームビデオが普及する前の裕福層向け家庭用撮影機材や録画装置に目が釘付け。水俣病患者施設『明水園』のバンが日産『ブルーバード』、マイクロバスがトヨタ『コースター』、障碍者用特装乗用車が日産『バイオレット』である事にも注目。
不知火海の漁法の多彩さにも驚かされます。裏を返せばそれだけ種類も量も豊かな漁場だった訳で、大学の調査では危険値を示す魚が獲れる海域でも『水俣では無いから』という方法論で漁業規制が行われない実態も描かれます。黒マグロの群れが海域に迷い込んだ時には一晩で150万円に及ぶ収入が得られたとか、
通常の漁期のフグ漁では月50万に成ったとか、当時の物価を考えると今の価値で5倍以上に相当し、同時に現代は如何に生物生息環境として有毒物質無関係に劣悪化したかが分かります。漁村ごとの漁船の特徴も様々で、取り決めで資源保護の為底引き中は機械動力を使わないとする『打瀬船』は4本マストの
スクーナー形式なのが小型船ながら興味深いです。他地域の漁船は現在と同じ船尾にガフを掲げる艤装。『水俣では無いから』では御所浦島や牧島で水俣病認定基準値目安の単位水銀量50ppmを遥かに超える900ppm以上が測定されたにも関わらず水俣病に認定されないまま亡くなった方々も採り上げられます。
両作品共に日本語のWikipediaは無く、英語版でだけ存在するのが作品としての政治的扱いがよく分かります。『水俣病』は風化し忘れ去られるべき歴史なのです。そして両脇のオジサン達は上映中爆睡。年間鑑賞数稼ぎには効率が悪いので、知的文化人としてチヤホヤされたい動機でのアリバイ作りだと思われます。
土本監督作は「よみがえれカレーズ(1989)」しか見た事が無く気合を入れたものの、結局2本鑑賞に終わってしまいました。
ログインしてコメントを確認・投稿する