今年は、ギャルと芋が少ないです。
教員としてはハードルが高いかもしれません。
ギャルは社会性があります。
考えてみれば、
胸を開けたブラウスを着て、超ミニを履いていたら男が声をかけてきます。
それをかわす必要があります。だから、赤の他人とコミュニケーションをとることに慣れています。
芋は、三つくらいのタイプに分かれますが、そのうち、地方出身で、首都圏で思いっきりなりたい自分を探そうというタイプは、すべてにわたり積極的ですから、授業も盛り上がります。
ただ、いつも思うのですが、
タイプとは、現在のタイプです。これから変わります。
だが、それを見守ることしか出来ません
距離感が大切。
深夜のファミレスで、強姦で服役した内柴そっくりの人が、大学の体育会の女子と思われる三人と話していました。
どうやら、女子の嫉妬心を利用して競わせているようです。競わせた結果、単に記録を出すように仕向けるのか、それとも何らかの下心を満たすのか知りません。
よくやるなあ…俺にはできない…といったところが、率直な感想です。
どうやらそういう人心収攬術は昔から行われてきたようです。ただし、高校以下と体育会だけ。大学は違います。
と考えると、昔の高校生の指導は、必要悪ですが行き過ぎが多かったと思います。
距離感というのは、相手に立ち入らないということだけではありません。それも大切ですが、一方が一方を操るなどのことをしないということです。
大学の生活というものは、後でその意義に気が付きます。
たとえば、ぼくの場合、街の意義というものが大きかったです。
よく、都会は画一的だといわれますが、それは真っ赤なウソ。
田舎の方がはるかに画一的です。
東京に来て、多彩なテクスチュアーのある街をみれたのは大きな収穫でした。たとえば、湯島から、神保町を挟んで一ツ橋まで。てんぷら屋でも、旦那衆、貧民(と学生)と、客層が異なる店が共存しています。
ところが、普通、イメージしがちの『こち亀』的な粋は、ありません。みんな、江戸や神田を美化しています。
まあ、そこでいろいろと言いたいことが出てくるのですが、体験の本当の意味が分かるのは、せいぜい、十年後です。
友人関係なども同じです。
だから、決して今すぐということではなく、後からジンワリときいてくるような関係性を持ちたいと思います。
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