「信子」1940・松竹大船・白黒35�弌4董Ю郷綛─8供Щ盪卻枯察兵臧悗陵�連載)。脚:長瀬喜伴。撮:厚田雄春。編:浜村義康。美:江坂実。音:伊藤宣二。主題歌『信子の歌』詞:西条八十、唄:高峰三枝子・渡辺はま子。『乙女の歌』詞:西条八十、曲:古関裕而、唄:松原操。
出:高峰三枝子、三浦光子、岡村文子、森川まさみ、高松栄子、大塚君代、松原操、忍節子、出雲八重子、雲井ツル子、奈良真養、吉川満子、飯田蝶子、三谷幸子、春日英子、なぎさ陽子、日守新一。。私の持論『飯田蝶子出演作にハズレ無し』に全く以って該当している作品です。
東宝の女学校ものが『東京宝塚』の名に恥じず如何にも上品なのに対し、本作は松竹らしく泥臭い人間味が魅力です。『あんみつ』の語源など教師や女学生の会話が楽し過ぎる一方、明暗メリハリのある人間ドラマも見物です。女学校ロケは建物と校庭は『神奈川高等女学校(現神奈川学園)』、
港の見える道は女学校ものロケの定番、横浜元町30番地(現三丁目)のフェリス女学院横の高台と推定。ハイキングはこれまたロケ定番の奥多摩、バスは『いすゞBX40』、トラックはトヨタ『GB』ではないかと思います。
「暁の合唱」1941・松竹大船・白黒16�弌4董Ю郷綛─8供Ю从簍亮]此兵臧悗陵�連載:新潮社刊)。脚:斎藤良輔。撮:猪飼助太郎。美:江坂実。音:伊藤宣二。出:坂本武、木暮実千代、佐分利信、川崎弘子、近衛敏明、吉川満子、日守新一、飯田蝶子、縣秀介、仲英之助、平井岐代子、文谷千代子、松尾千鶴子、沖田儀一。
清水宏監督といえば孤児や障碍者、人権が認められて無かった時代の婦人など社会的弱者に寄り添った作品で有名ですが、私的趣味では『バス映画』といえば清水宏!というイメージです。本作の画期的な点は、主人公の女性がバスの車掌だけではなく運転手にまで出世する(現代の鉄道でも運転手は車掌の資格を獲得してから)
点にあると思います。日米戦争中に止む無く女性の社会進出がトップダウンの形で進行しますが、本作の主人公は自らの意思で人生を切り開き自立するのがポイント。例によって飯田蝶子のお婆ちゃんが可笑し過ぎる。主人公は横手から秋田市街のバス会社へ就職する設定で車両も秋田ナンバー。
しかしロケは景観から伊豆牧之郷〜月ヶ瀬ではないかと思います。道路と隣接して電鉄の架線が見える(線路と電車は直接見えない)シーンは下田街道(現国道136号)の宗光寺地点と推定。一部トラスの橋は狩野川に架かる旧『大仁橋』と断定してもよく、川縁のシーン含め「愉しき哉人生(1944・成�麑Υ鄰法法�
など複数の映画の撮影で使われており、各ロケシーンの景観と時勢柄から判断するに『撮影は横手で行われた』という自称一流映画研究家達の主張は検証無しに孫引きコピペで広まった俗説だと私は思います。バスは雑多で1回観ただけでは覚え切れず自信が無いのですが、『フォードBB日産』『六甲B14』
『スミダL型』『トヨタDB木炭ガス発生器付』だと思います。ハイヤーはおそらく1937年型『ダービー・ベントレー1.25Lロードスター』で、こんな超ウルトラ高級車を運転の練習でダート走らせたり砂利の河原に乗り入れたりしちゃっていいの?と腰が抜けそうになりました。なお戦後に2度リメイクされてます。
「しいのみ学園」1955・新東宝・白黒35�弌�BD)。監脚:清水宏。原:山本三郎。撮:鈴木博。編:後藤敏男。美:鳥居塚誠一。音:斎藤一郎。歌詞:西葉子。出:宇野重吉、香川京子、花井蘭子、島崎雪子、河原崎健三、岩下亮、竜崎一郎、毛利充宏、渡辺司、新倉一夫、葉山葉子、大野佳世子、松井晴志、林三重子。
映画封切前年に同名学園を夫婦で設立した福岡学芸大学教授の��地(山本)三郎博士の原作が基になってます。特別支援学校や児童福祉施設の制度が無かった時代に画期的で全国の注目を集めたようです。
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劇中の学園は実際の所在地の福岡県筑紫郡曰佐村(現福岡市南区井尻)と周辺風景が全く合致せず、伊豆長岡にオープンセットが組まれたそうで、郵便局なども同地ロケだと思われます。また冒頭の小学校は景観から様々な作品でロケが行われてる世田谷『砧小学校』の可能性が高いですね。
他作でも教師役がはまり過ぎる宇野重吉と香川京子、戦前のか弱い少女イメージを脱却した花井蘭子の凛とした姿など配役の妙にも注目。主役夫婦の家に埴輪が飾ってあるのは当時のブームの反映か(文化財としてまだ保護対象前で個人で実物の埴輪をコレクションするのが流行っていた)。
ジュース瓶の『バイヤリース』のラベルが必ずレンズへ向いてるのでスポンサーと思われます。現代では有り得ない描写として病院長が診察室で喫煙しているなどカルチャーショックを受ける人も居るんじゃないでしょうか。その院長の車は一瞬一部分しか映らないものの『リンカーン・コンチネンタル』だと思います。
その後各地に現代に至るまで養護学校(現特別支援学校)『しいのみ学園』が誕生してますが元祖とは直接的関わりはありません。本作内容は困難な命題に立ち向かい努力し、協調と理解で乗り越え解決した昭和後期の人々の典型例に感じます。まだ下積み時代の石井輝男が助監督で、後の作風との乖離に驚き。
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