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2025年12月12日08:44

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『雨月物語』 齟齬と頓悟の構造 ーーなぜ、崇徳院は、西行の和歌に感動したのかーー 下

4 金剛般若波羅密多経の教え

 崇徳院の亡霊は消えた。
 そのあとに、西行は金剛般若波羅密多経(以下、金剛般若経とする)を供養する。
 高野山から弘川寺に遷った西行の事績を思えば、崇徳院の成仏を願って読誦する経は、般若心経や理趣経、大日経、観音経などふさわしかろう経は多い。実際に読まれた経は、金剛般若経であった。
 なぜ、金剛般若経であるのか。興味深い論考がある。佐々木亨『「白峯」と志度 ーー珠採り伝説を巡って』(注13)である。『今昔物語』巻第十二には「竜王夢中ニ告テ云ク、「我ガ蛇道ノ苦此珠玉採テ離レヌ。亦、金剛般若ノ力ニ苦皆離レヌ。大キニ喜ブ」という個所がある。龍の三熱の苦が、金剛経によって逃れ得ることを示されている。崇徳院の姿の描写には「竜」という語がことさらに用いられ、「見る見る一段の陰火君が膝の下より燃え上りて山も谷も昼の如くあきらかなり (中略)熱き嘘を苦しげにつがせ給ふ 」と燃え盛る火に苦しむ様子が描かれている。だから、金剛般若経が選ばれたのだという指摘である。
 しかし、西行が「よしや君…」の和歌を歌いかけた直後の、

此ことばを聞しめして 感でさせ給ふやうなりしが、御面も和らぎ 陰火もややうすく消えゆくほどに つひに龍体もかきけちたる如く見えずなれば 化鳥もいづちゆきけん跡もなく 十日あまりの月は峰にかくれて木のくれやみのあやなきに夢路にやすらふが如し ほどなくいなのめの明けゆく空に 朝鳥の音おもしろく鳴きわたれば かさねて金剛経一巻を供養したてまつり

という描写を見ると、崇徳院の顔が安らぎ、院を苦しめた隠火が薄くなって消えたのは、「よしや君…」の和歌のおかげであり、それから、明け方になって「夢路にやすらふが如し」という心境になり、その後、西行は金剛般若波羅密多経を供養したのである。
 こういうときである。『雨月物語』の説話の秘密が示唆されるのは。
 「菊花の約」の末尾で、「咨軽薄の人と交は結ぶべからずとなん」という表現が与えるが、軽薄の人とは誰であろうかという物語の運びに対して覚える違和感。「夢應の鯉魚」の、先にも触れた成光のエピソードのいかがわしさという違和感。「吉備津の釜」の貞女の磯良という名前。違和感があるところをこそ掘り下げていき、世間一般の解釈とは異なる『雨月物語』の多面体的な実態を理会するべきなのである。「白峯」の場合もカギはまさしく、金剛般若波羅密多経にあった。
 金剛若波羅密多経の核心部はいくつかにまとめられる。まずは、

一切有爲法 如夢幻泡影 如露亦如電 應作如是觀
(大意 すべてのものは因縁によって作られたものだ。実体がなく、幻、泡、影、また露であり、稲妻のようなものである。そのように世界をみよ)

と、「夢幻泡影」という熟語で余りにも有名な、一切は仮初めのものに過ぎないという存在論的思想。
また、認識についての、

如來所説三千大千世界,則非世界,是名世界。何以故 若世界實有者,則是一合相。如來説一合相,則非一合相,是名一合相。須菩提一合相者,則是不可説,但凡夫之人貪著其事
(大意 如来が説かれた果てしない世界は、世界ではない。だから、世界と呼ばれる。もしも、世界というものがあったら、それは、全一体という執着があることになる。全一体という執着は、それが執着でないからこそ全一体という執着とよばれる。スプーティよ。だから言葉で言い表すことができない。しかし、愚者は、世界に執着するのだ。)

との思想。ここで繰り返される「一合相」(全一体の執着)とは、「全てを一つの全体とみなし。それが実体であると執着すること」(岩波文庫 中村元、紀野一義による注)である。
 物事を言葉で語ることは、語り手によって意識化された一面しかとらえない。だが、人はそれを全体像だと錯覚し、あるいは自己肯定して強弁し執着する。全ての言説は、その意味では虚妄である。夢幻泡影であるとしてもいい。現代思想風に述べると、分節できないからである。 
 まして、和歌の言葉は、短い。宿命的にダイクシス(deixis )にならざるを得ない。ダイクシスとは、「彼」が、ある場合は山田君を、ある場合は佐藤君を指すように、場のなにかを指す表現である。場というコンテキストの中で、和歌とその享受者、すなわち作者とその場の聞き手はダイクシスの指示対象をくみ取りながら自他を了解する。だが、くみ取ったものが同一であるとは限らないし、唯一のものであるともいえない。従来意識されてきたとはいいがたい、和歌の誤読の可能性を利用したところも、秋成の新しさである。だが、 世界にくまなく通用する理会があるとしたら、金剛般若経が警告する、「一合相」すなわち、全一体という執着に他ならない。そうした解釈の限界性は、和歌の通釈だけではなく、保元の乱、平治の乱をどうとらえるかということにも及ぶであろう。崇徳院の理会が虚妄であるならば、西行自身の理会も、また、虚妄であるのだ。。
 かくのごときの言語表現の限界性は、いうまでもなく禅宗の思想の核心である。その典拠は、金剛般若波羅密多経であるが、永嘉大師の『証道歌』(注14)もその一つである。
 『雨月物語』に具体的に明示されている仏典は、この二つだけである。最後に、この二つの仏典をとりわけ重要視する曹洞宗の実在する僧侶快庵が、事実上、『雨月物語」の掉尾の作品にあたる「青頭巾」に登場する。したがって『雨月物語』が基調とした思想は、禅とみてまちがいなかろう。
 衆道の相手の雅やかな稚児がなくなり、その死肉を喰らい、果ては鬼と化した人食い僧に快庵は、『証道歌』の「江月照松風吹 永夜清宵何所為」を公案として課した。そして、おそらくは鬼僧は、自己の妄執に気づき成仏した。
 『証道歌』は、次のように続く。

箏以無為実相門 一超直入如来地 但得本、莫愁末 如浄瑠璃含宝月。
既能解此如意珠。自利利他終不竭。江月照。松風吹。永夜清宵何所為。佛性戒珠心地印。霧露雲霞體上衣。降龍缽。解虎錫。兩鈷金環鳴歷歷。
不是標形虛事持。如來寶杖親蹤跡。不求真。不斷妄。了知二法空無相
(書き下し文 いかでか似かん無為実相の門、一超直入如来地なるに。但だ本を得て末を愁うる莫れ、浄瑠璃に宝月を含むが如し。 既に能くこの如意珠を解す、自利利他、終に竭きず。江月照し松風吹く、永夜の清宵何の所為ぞ。佛性の戒珠心地に印す、霧露雲霞体上の衣。降竜の鉢解虎の錫、両鈷の金環鳴って歴歴。是れ形を標して虚しく事持するにあらず、如来の宝杖親しく蹤跡す。真をも求めず妄をも断ぜず、二法空にして無相なることを了知す。)

 現代語の解釈は、注(注15)で示し本文では書き下し文を記したい。おそらくは秋成も口ずさんだであろう書き下しのリズムをかみしめ、幻の中で鳴る『証道歌』の錫杖の音にしばし思いを馳せたいからである 。
 本論の論旨にかかわる箇所にだけに触れて、論を閉じることにする。

 不求真。不斷妄。了知二法空無相

『菊花の約』における左門の思いは、美化された妄想だったとしても、なかったこととして排除できない。『吉備津の釜』の磯良の 健気さも醜い執念も共に真実である。お坊ちゃん育ちで、好色で浮薄な正太郎は、磯良を鬼扱いし真面目に逃げた結果横死し、同じような甘ったれて浮薄な「蛇性の淫」の豊太郎は、恐れ戦くのみであったからこそ、生き延びた。自己の見方に固執しない、いわゆる自在心に似たものが禍福を分けた。機会があったら詳述したいが、私にはそう思えてならない。歌意を誤解した結果、妄執を離れた崇徳院の成仏と同様にまぐれあたりにすぎぬものと言えば、その通りである。だが「真」も「妄」も、相対的なものであるから、倫理道徳的な根拠は、どこにもないのだ。
 だからこそ、解釈や詠歎に還元しえない動かしがたい物語というものが屹立する。そして、また、金剛般若経や『証道歌』の教えは、瑠璃を照らす月光(注17)如く、この世に遍在している。
 『雨月物語』は、物事の一面でしかない自分の体験や言説にこだわったものの悲劇と、それに気づく読者の頓悟の物語である。


注1 「菊花の約」…「謀(たばか)られたる左門こそあはれなれ 『菊花の約』論」2015 本間也寸志 にて詳しく述べた。
注2 井上泰至『近世刊行軍学論 教訓 娯楽 考証』」2014年 並びに、飯倉洋一『上田秋成 ー絆としての文芸ー』2012年 において考察されている。
注3 「夢應の鯉魚」…「公案としての「夢應の鯉魚」 」(2017 本間也寸志 「東洋文化」)にて詳しく述べた。
注4 「吉備津の釜」…「「吉備津の釜」の恐怖 : 『佛界易入魔界難入』または、自己語りの魔界 」(2021 本間也寸志 「東洋文化」)にて詳しく述べた。
注5 「青頭巾」…「「青頭巾」の悟り  --『不動智神妙録』と『快庵的伝禅室内秘書』」にて詳しく述べた。
注6 『日本の思想』1961年
注7 『二十世紀文学と翻訳』2019年 阿部公彦
注8 定評がある理論書である、ジェラール=ジュネット『物語のディスクール』では、シャーロックホームズ物のワトスン博士のような物語に登場する語り手と、草紙地のような報告者を分けて詳述されている。
注9 「俊基朝臣再関東下向事 」(『太平記』1909年国民文庫刊行によるもの )には、
 恩愛の契り浅からぬ、我故郷の妻子をば、行末も知ず思置、年久も住馴し、九重の帝都をば、今を限と顧て、思はぬ旅に出玉ふ、心の中ぞ哀なる。憂をば留ぬ相坂の、関の清水に袖濡て、末は山路を打出の浜、沖を遥見渡せば、塩ならぬ海にこがれ行、身を浮舟の浮沈み、駒も轟と踏鳴す、勢多の長橋打渡り、行向人に近江路や、世のうねの野に鳴鶴も、子を思かと哀也。時雨もいたく森山の、木下露に袖ぬれて、風に露散る篠原や、篠分る道を過行ば、鏡の山は有とても、泪に曇て見へ分ず。物を思へば夜間にも、老蘇森の下草に、駒を止て顧る、古郷を雲や隔つらん。番馬、醒井、柏原、不破の関屋は荒果て、猶もる物は秋の雨の、いつか我身の尾張なる、熱田の八剣伏拝み、塩干に今や鳴海潟、傾く月に道見へて、明ぬ暮ぬと行道の、末はいづくと遠江、浜名の橋の夕塩に、引人も無き捨小船、沈みはてぬる身にしあれば、誰か哀と夕暮の、入逢鳴ば今はとて、池田の宿に着給ふ。
とある
『太平記』と「白峰」は、因縁がある。西行は出家する前に、『西行物語』に登場する女子の他に、後に山形氏を名乗る男子がいて、『地下家伝』(「覆刻日本古典全集」2008年)によると 山形左衛門尉 を称し、日野氏の侍となったという。また、西行が待賢門院と契りを交わしたという説もある。彼女は、崇徳院の生母であった。だが、冷静に考えると、その関係を「白峰」に当てはめるのは無理がある。そのような因縁と本文との関係は、ここでは詮索しない。秋成は、読者を試す。その、一つの仕掛けではないかとも思える。。
注10 『平治物語』「岩波文庫」1934年 
今は謀叛人の妻子となれば、うるさしとや思ひけん、物詣でしたりとて、情なかりしかども、若しやと暫しは待ち居つつ、待つ期も過ぎて立返れば、日もはや軈て暮れにけり。又立寄るべき所もなければ、怪しげなる柴の戸にたたずみしに、内より女出でて、情ありてぞ宿しける。世にたたぬ身の旅寝とて、憂き節繁き竹の柱、あるかひもなき命もちて、独り歎くぞ、萱の七ふと思ふ人はなし。されど今宵もみふに、 たゞ伏見の里に夜をあかし、出ればやがて小幡山、馬はあらばやかちにても、君をおもへばゆくぞとよと、おさなき人にかたりつゝ、いざなひゆけば、此人々あゆみつかれてひれふし給ふ。
などと、完全ではないが、常盤と一体化して心中思惟が語られている。
注11 重友毅『雨月物語評釈』1954年 高田衛『「白峯」の成立と雨月物語の原型 ―「西行はなし歌枕染風呂敷」をめぐって―』1957年において詳しく考察されている.
注12 『雨月物語』角川文庫1959 年
注13 「読本研究新集」第三巻 2001年
注14 引用の本文は『証道歌』山田無文1985年によった。
注15 金剛般若経の訳と解釈は、おおむね、次に従った。岩波文庫 『般若心経 金剛般若経』中村元、紀野一義 
注16  仮に大意を取るとすると、
頓悟禅では一足飛びに如来の境地に直入できる。この仏法に優るような仏法はない。ただ根本のことを得るのが大切であり、枝葉末節のことを愁うることはない。 誰もが仏性(真の自己)を持っている。それはちょうど浄瑠璃の宝珠に月が映っているように輝いている。江月は照らし松風が吹いている。この長い宵のなかで何をなすべきかか。(『 江月照し松風吹く、永夜の清宵何の所為ぞ』注18)私の仏性には既に戒が具わっている。ちょうど霧、露、雲、霞のようなものが付いた衣服を着ているようなものである。ブッダが火竜を封じ込めたという鉢を持ち、猛虎をなだめた錫杖をつく。両鈷の金環はいつもはっきり鳴っているのだ。 それらの鉢や錫杖はただ形式的に持っているのではない。仏祖が歩んだ古道を歩み実践するためである。私は真をも求めないし、妄を嫌って否定することもしない。真や妄などの二項空なるもので姿が常ならぬものだと分かっているからだ。)
注17 道元は『正法眼蔵』「現状公案」にて、
人のさとりを得る、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も草の露にもやどり、一滴の水にもやどる。
とする
注18(注16についての注) 大谷雅夫氏「『青頭巾』の問い―――江月照松風吹 永夜清宵何所為」』2006を参考にしました。


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