市川團十郎 映画「国宝」ブームの背景を語る「日本文化と日本人の血が共鳴」
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見に行って、決して後悔しない。
カメラが素晴らしい。
映画にはつきものの、気になる筋の破綻があまりありません。
しかし、素晴らしいシーンは、歌舞伎の素晴らしいシーンです。決して、監督や脚本家などをけなすつもりはありませんが、どう考えてもそうです。
主人公たちは、女形ですが…
私は、六大目河原崎國太郎の、道行が好きですが、
男役に寄り添う躰のしなり、頭の曲げ具合など、これぞ、女性では演じられない「女」の精華です。
よく言われる通り、男だからこそ、女の魅力が分かります。
欲望というのは、対象が不在だから起きてくるからです。
ニセモノが、本物よりも美しい。
だから、ニセモノの非現実的な美を追求する。ということが、日本文化の精華でしょう。
利休が作った待庵
https://muengama.com/%e8%8c%b6%e5%ae%a4%e5%be%85%e5%ba%b5%e8%a3%bd%e4%bd%9c%e7%a7%98%e8%a9%b1/
などがそうです。
「花は野にあるように」とは、同じ利休の言葉ですが、当時、ソメイヨシノはなく、桜と言えば山桜でした。桜は野にはないが、そのありえないヴィジョンを追求しなさい、という意味です現実を模倣せよという意味ではありません。
秀吉が利休の家に来た時、庭に咲き乱れてたいそう評判だった朝顔をすべて抜いて、一輪だけを座敷に活けた。そういうことを指しているのでしょう。
坂東玉三郎は、大塚の料亭の息子だそうですが、大塚のある料亭(松し滿)で出している鮎を思い出しました。琵琶湖の種苗を湧き水で育て、酢橘をやる。だから、天然とは違う味わいです(もちろん、天然には天然の良さがあります。)
本当に美しい「天然の女性」ももちろん、多くいます。どちらが上ということではありません。
こういう事例を考えると、
「あるがまま」という俗耳に入りやすい発言は、とんでもない間違いだとわかりますね。
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