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2025年05月19日05:35

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世界各国の選挙の動き


1960年代に西側が共産主義の経済的成功に対して抱いた恐怖の源泉がどの程度、目立ちはしますが基本的に重要ではないロシアの技術的成果 (スプートニク)にあったのか、それとも単純な誤情報にあったのか、あるいはそうした情報の意図的な誤解にもとづくデマにあったのかは知るよしもないでしょう。

しかし、1956年のハンガリー革命の鎮圧と1968年のプラハの春の弾圧をきっかけとして、共産主義を名乗る国々で共産主義が信頼を失っていきました。1989年にベルリンの壁が壊され、その後、ソビエト連邦が最終的に崩壊するころ〔1991年12月〕には、共産主義の経済的失敗は明らかでした。

ドイツを二つの国に分けたことは、おそらく経済史上最大の制御された「対照実験」であり、その結果ははっきりしていました。東ドイツの社会主義経済の生産性と実質所得は、西ドイツの市場経済が達成したものと比べればわずかでしかなかったのです。

第二次世界大戦後、ヨーロッパの労働者階級の共産主義への支持は、着実に低下していました。イギリスでは、2回の炭鉱労働者のストライキで政府が敗北し、労働組合が一時的に力を取り戻した1974年には、社会主義イデオロギーも一時的に復活しました。

しかし、1976年にはイギリスの労働党政権がIMF(国際通貨基金)に屈辱的な融資を求めざるを得なくなり、新たに任命されたジェームズ・キャラハン首相は労働党大会で次のように語りました。「私たちは、減税と政府支出の増加によって雇用を増やし、不況から抜け出すことができると考えてきました。しかし、率直に言って、そのような選択肢はもはや存在しません」。

1981年に社会主義プログラムを掲げてフランソワ・ミッテランがフランス大統領に選出されたころには、財政と経済の現実は急速な方向転換を迫りました。少なくとも二世代の間に、西側の民主主義国における社会主義は終わりを迎え、ヨーロッパの左派の主流はそれをあっさりと放棄しました。

戦後の社会民主主義の初期の成功も侵食されていた。ヨーロッパの社会民主主義の灯台的存在であったスウェーデンの社会民主党は、1932年から途切れることなく政権を維持してきたが、1976年に敗北しました。社会主義者とマルクス主義者の派閥は、主要政党の内外に残ってはいましたが、それは過激派の残党という程度に落ちぶれていました。

ほかのイデオロギーの信奉者と同様に、それらの残党のメンバーも現実的な政策を提案することに関心はありませんでした。生き残った活動家たちはますます狂信的になり、抗議すること自体を優先し、その主要な敵は、自らの信念とは少ししか違わない信念を支持する人たちであることも多かったのです。

1970年代になると、デレク・ハットンやアーサー・スカーギルのような攻撃的なマルクス主義者が目立つようになる一方、トロツキストのグループであるミリタント派は労働党に浸透することに成功しました。しかし、そのような過激なイデオロギーは有権者の支持を得られなかったので、1983年の総選挙で労働党は惨敗することになったのです。

左派の伝統的なイデオロギーはすたれていきましたが、しばらくの間は伝統的な左派政党は生き延びることができました。イギリスとアメリカの両国において、トニー・ブレアとビル・クリントンという、賢明でカリスマ性のあるリーダーが登場してきたのは両党にとって幸運でした。

ブレアの「ニューレイバー」(新しい労働党) や 「第三の道」、クリントンの「三角測量戦術」という曖昧なブランドによって、影響力が低下しつつあった労働者階級の優先事項と、台頭しつつあった、グローバル救済主義と能力主義という個人主義を好む、教育を受けた若い世代の優先事項の現実的な融合に向けてそれぞれの党の立ち位置を修正していった。

ブレアは「犯罪に厳しくする」と約束し、クリントンは「三振でアウト法」〔前科二犯の者が三度目の有罪判決をうけると終身刑となるという法律〕を支持する一方、ブレアの財務大臣は福祉給付金を引き上げ、クリントンの妻は健康保険を改革しようとしました。能力主義は、生まれにかかわらず、最も優秀な人が出世できることを求めました。

そこで、新たにアカデミーやチャータースクールを通して、教育の機会を増やし、教育の質を改善しようとしました。ブレアはさらに就学前教育のための国家プログラムを追加しました。両方の有権者にアピールする政策と、彼らの個人的な魅力の組み合わせによって、党の多様化した支持者をひとつにまとめることができたのです。

オバマは同じ魔法を使いましたが、ブレアには同じような後継者はいませんでした。2019年のイギリス総選挙では、グラストンベリー音楽祭で「ああ、ジェレミー・コービン」と歌った感情的な若者と、労働党に浸透していた過激派によって、1983年の惨敗が繰り返され、保守党のボリス・ジョンソンに大勝利をもたらしたのです。

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